会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

若い頃は芸術家になりたかった

こんにちは。


私の記事を読んでいると、なんとなく青臭いというか、すこし表現が大仰なものを感じると思います。


それは私が、若い頃に芸術家を目指していた、ということに依ると思います(爆)。


いや、本当にそのようなものになれればなぁ、と思っていたんです。


いまの時代は、あきらかに金と利権に塗れています。持つ者と持たざる者、その図式がすべてになってしまっている。


私でさえ、そのようなものを意識せざるを得ません。それだけがすべてではないとわかりつつも、そのような価値基準を基に物事を評価してしまっている。


ですが、そのような価値基準がすべて、ということになってしまうと、心が荒んで行きます。そしていまの日本では、一度その図式が決まってしまうと、それを覆すのはかなり困難となります。よほどの幸運に恵まれない限り、這い上がるのは難しいでしょう。


だけど、人生、そんなもので決まっていいのか?そんなギスギスした尺度しか通用しないなんて、おかしくないか?


じつはそれを軽々と超越するものがあるのです。それが芸術です。


絵、文学、音楽、その他の表現手段。本当に優れた芸術は、人々の意識を変えます。金や利権に目が眩んでしまった人たちを嘲笑うかのように、それとは別の価値基準を提供します。心がザワザワし、頭のなかに啓示のようなものが下りて来ます。


そのような体験をしたことがある人はきっと居ると思います。そして世のなかが荒廃したときにこそ、芸術というのはその真価を発揮するのです。


・・ただ芸術家というのは、そんなに簡単には生まれません。とくに日本の風土では、それを育むというより、芽を摘むという方向にベクトルが働いています。皆なおなじ方を向き、人と違うことをしようとする人を変人扱いします。


そのような風雪に耐え抜き、なお且つ自分の世界を持ち続けた人たちだけが、日本では芸術家の仲間入りを果たすことが出来ます。なかなかの試練ですよね。


ですが日本がもっと没落して行き、いまの社会の枠組みが崩壊したとき、新しい潮流が生まれる可能性もあると思います。だから芸術を愛する人は、この社会が一度ご破算になるまで待つという手もあります。


もしかしたら自分がそのなかで新しいものを生み出しているということになるかも知れません。

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