会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

労働中枢に立ち向かうには・①

こんにちは、curiosです。


社会人になるのは高卒の人なら18歳、大卒なら22歳というところですよね。それからずっと働き続ける、まあ中にはインターバルを置く人もいますが、なんらかの形で社会と関わり続けることになります。


そして労働はこの社会に於いては『善』とされる。皆が会社に勤め、労働をするからこの社会、ひいては国が発展する。そういう刷り込みを至る所でされて来ます。それは親からでもあり、先生からでもあり、会社の上司からでもあったりする。


私は最終学歴が高校なのですが、その高校は商業高校で、生徒を就職させることに重きを置いているきらいがありました。就職率90%以上というのを売りにしていて、だから3年にもなると、何処に就職するのか、大体は決めておきなさい、という空気がありました。


そして私も、とある工場に勤務することになるのですが、ここではまさに人間は奴隷である、ということを叩き込まれた日々でした。嫌が応にも社会人になったからには働きなさい、ということを、細胞レベルで教え込まれた気がします。


ですが心が壊れてしまった。それからは会社を彷徨う日々が始まりました。不思議なもので、プータローになろう、という気にはなれなかったし、失業保険も貰う気にもなれませんでした。やはり最初の会社での細胞レベルでの刷り込みが大きかったのでしょう。


そして次の会社を辞めた時も、何処か会社に所属していないと、という焦りが大きかった。自分は会社には向いていないのでは?という思いはあったものの、次の会社に面接に向かい、採用を取り付けた。そしてしゃかりきになって働いた。


今から思うと、滑稽にさえ思えます。人付き合いが苦手で、会社組織に向いてない、そう自分でも自己認識をしているにもかかわらず、会社というものに所属したがる。


これはまさに、日本の社会が作り出した『労働中枢』育成プログラムが、機能していたからというべきでしょう。学校での教育や、親からの期待や、会社での洗脳行為。思考をマヒさせ、働くということに、特化させるマシーンを造り上げる。


例えば、いまの会社がイヤでイヤで溜まらなくても、なぜか辞めるという段になると不安になる。それは『労働中枢』が機能している証拠です。働かないと、不安になる。会社に所属していないと、自分は根無し草みたいに思える。


また、『労働中枢』は個人の価値観みたいなものも破壊します。とにかく、集団に所属していないといけない、その為には自分の個性やエゴみたいなものはなるべく殺さないといけない、と自分を抑圧してしまう。だから面白味のない、のっぺりとした印象の人が多くなります。周りを見渡せばわかるでしょう?


『労働中枢』というのは私の造語ですが、なんとかこの言葉に出来ない社会のなかの暗部のようなものを表現したくて造りました。雰囲気だけでも伝わればいいと思っています。


それではこの『労働中枢』に立ち向かうにはどうすればいいか、考えてみたいと思います。

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