会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

人生の目標を『氏なない』ということに置く・1

こんにちは。


人生の目標を『死なない』ということに置くと、生きるのが驚くほど楽になります。


2022年度は、色んな人の訃報が入って来ました。芸能人も多く、なかには自ら命を絶ってしまった方も居られます。


私も、恥ずかしながら若い頃はそういう願望に憑り付かれていたことがありました。物事を深刻に考え過ぎてしまう習性があるため、これから先の展望が見えなくなってしまい、どうにでもなれ、と自暴自棄になってしまった時があります。


その頃は、『完全自殺マニュアル』なんて本も出版され、センセーショナルなその内容に、感化されてしまったこともありました。いちばん苦しくないのは『首〇り』だなどと書かれており、それなら近くの樹海で最期は首〇りだな、なんて勝手に決めていたものでした。


もっとも、苦しくないなどとは言っても、その場所(樹海)に行って、実際にそれを決行する、ということを考えると、恐怖が襲って来ました。頭で思い描いているときは簡単に思えるものの、その場所に行き、なかに入って行って、それをする、という段になると、途端にリアリティが増して来ます。いえ、その工程を考えるだけで、なんだか足がすくんでしまうような気がしました。


そして歳を取って、そういう恐怖から逃れられたと思った時でも、やはり人生の悩みからは解放されませんでした。自分の悩みは仕事に直結するので、仕事をしている限りはその悩みが付き纏うことになります。


そうして2022年の1月に、仕事上のトラブルで適応障害を発症して、結局仕事を辞めました。この時も『希死念慮』が無かったといえばウソになります。定年まであと数年というところで挫折してしまい、なんだか自分の人生は踏んだり蹴ったりだったな、という諦念と、結局この社会に自分は適応出来なかった、という無念が渦巻いて、ぼんやりとではありますが『虚無の領域』を意識しました。でもこの時は心療内科の診察を受けて、大分気持ちが楽になった気がします。


それと、この歳まで会社員を続けて来れば、それなりの基盤というものが出来て来ます。転職を果てしなく繰り返したものの、厚生年金の納付額は年相応のものになるし、また住宅ローンは背負っているものの、その代償ともいえる持ち家は確保しています。また適応障害を発症したことによる、傷病手当金というものが給付されるということが大きかったように思えます。当分の間はこれで手持ちを減らさずに生活することが出来る。


その安心感が、いままでとは違う思考回路に到達するきっかけとなりました(続く)。

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