会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

社会の真実を知りたいという人ばかりじゃない

こんにちは。


私はここのブログでも取り上げているように、この社会の裏側というか、真の姿みたいなものを暴き出したいという欲求が、若い頃から強かったと思います。


それは自分がこの社会に苦しめられて来たからというのもあります。なんとかして自分を苦しめるこの社会の、核心みたいなものを暴き出したい、そんな思いから、様々な本を読んだり、有名な人の言葉を追ったりしました。


昔は情報を入手する手段がTVや書籍しか無かったですが、インターネットが出て来てからそれが一変しました。自分の興味のある言葉を入力しさえすれば、それに応じた結果がズラッと表示される。また黎明期には凝った内容のHPが多く、本当に面白かった記憶があります。


そんなこんなでこの社会の成り立ちというのが、大まかにではありますが理解されました。この社会というのは基本的には『悪』であり、道徳の時間で習うような互助精神によって成り立っているというのはウソだということです。


では何故学校でそんなウソを教えるのか、というのはまたの機会にゆずりたいと思います。重要なのは、そんなことは気にもしていない、という人が、意外に多いということです。


この日本というのは一応は民主主義社会なので、調べようと思えば大抵のことはわかるようになっています。政治の本質や、国家によって消された不都合な事実、など。また現在でも国を脅してみかじめ料をせしめる思想団体みたいなものは健在であり、政治と深く関わっています。


こんなことが知識として入って来れば来るほど、この社会でまじめに働くということに疑問を抱くことになります。そして不正や横暴がまかり通っている社会なら、自分だってそれなりに生きてやる、みたいな打算が生まれます。まあそんなに大それたことは出来ませんが、すこしは要領良く生きてやろう、という感じです。


ですが大多数の人はそんなことに拘泥しないで生きています。会社に行き、きちんと自分の役割をこなして生きている。社会の裏側なんてことには興味を抱きません。いえ、多少は知識を入れることもあると思います。ですがそれによって自分のなかのなにかが変わるということはない。


これは私からすれば、なんとも不思議なことです。手を伸ばせば真実はそこにあるのに、それに触れるということをしない。あるいは興味を持たない。


逆に国家にとっては、実に都合がいいことです。自分たちがしている悪行や不正に対して、国民が団結してそれを暴き出すという恐れがないからです。


世界には様々な主義や思想の違いから、紛争や内紛に発展する国がありますが、日本というのはそういうことからまったく無縁な国家に思えます。そしてそれは決していいことではありません。国民がすっかり手懐けられてしまっているということでもあるからです。従順で逆らわない国民、その行く末は、完全に国家機構にコントロールされた家畜、ということでもあります。

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