会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

苦しい時に放つ魅力

こんにちは。


異性に対してもう諦めのような感情を抱いていることはこのブログでも幾度か述べて来た通りですが、私なりに得た教訓のようなものもありますので、すこし書いてみたいと思います。


私がいちばんク〇だと思った時代、即ち33~35歳ぐらいの派遣勤務時代ですが、その頃はもう生きているのが苦痛でした。ガラの悪い職場、安い給料、自分の今後のこと、家の建て替えなど、様々な要因が複合的に絡み、なにひとつ明るい展望が見えない時でもありました。


人はこのような状況になると、悩むというより呆れることが多いようです。あまりの好材料のなさに、却って笑ってしまうというような感じです。


その頃は工場勤務だったので、ラインで仕事をしていました。検品の工程などには女子社員の姿もあります。朝の朝礼のときなどには一緒になりましたし、たまに会話も交わすことがありました。


そうして自分なりにいいな、と思ったコも出来ました。仕事中にすれ違うこともありましたし、休憩中になんとなく目で追ってしまったりしていました。


でもいまの自分では、とても女の子にアピール出来るものなんてない、そんなマイナス感情によって、自分を閉じ込めてしまいました。正社員にでもなれば誇れるものはあるが、いまの自分は不安定な派遣社員で、おまけにいつバックレるわからないくらい職場の雰囲気は悪い。そんなものを物ともしないぐらいのルックスがあれば別だが、もうオジさんの域に入ってしまっている。


そんな姿勢が、態度にも出てしまっていたと思います。すれ違う度に、意識はするのですが、結局なにも行動に移さないまま過ぎて行きました。


でも、すこし経ってその女の子を見ると、ちょっと様子が変わって来ていたのです。やはり、自分がすれ違う度にその子を目で追っていたというのが大きかったのでしょう。私がその女の子に目をやると、あちらもなんとなくこちらを見ているのです。それはもしかしたら警戒の視線だったのかも知れませんが、そのなかに微かな訴えかけの情もあったような気がしました。


結局私はその仕事を辞めてしまうのですが、その時の自分の周りに漂っていた絶望感、虚無感のようなものが、ひょっとしたら異性にとってはなんらかの魅力に映っていたのかも知れない、そう思うようになりました。他にも何人かの異性から、好印象のようなものを抱かれていたという感触があります。ですが私は自分のことで手いっぱいで、結局は自分でその好機をみすみす逃してしまうのですが。


その人が苦しい時、その人を助けたいという感情も沸いて来るのと同時に、その人の放つ空気感のようなものが、周りを切り裂くような鋭さを抱くことがあるのかも知れません。そしてそのような時、決してダメだと諦めないで、ダメで元々ぐらいの気持ちでアタックしてみればいいんじゃないか、そんな風に思うようになりました。


その教訓が活かされることは、今後あるのでしょうか?

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