会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

生きることの意味・最終形(其の二)

こんにちは。


前回で述べた、『現代の消費型資本主義生活からの真の離脱』ですが、我々消費者は、生活するのに、最低限のお金を必要とします。


そしてお金はあればあるほど生活的に困らないので、とにかくお金を手元に置いておきたい、という欲求が発生します。


そうしてお金を貯めて置けば置くほど、将来的に安泰、という思いを確実にすることが出来ます。そして自分の子供、子孫、そういったもののために資産というものを形成するようになります。


そうしてその資産の形成がうまい人ほど、この資本主義社会では勝ち組とされ、その人の生き方や事業の仕方などを学ぼうと、多くの人が教えを乞おうとします。その時点で、この消費型資本主義社会の罠に嵌められていることになります。


お金を貯めるという行為は、本来の目的の、『お金は使ってこそのもの』という観点から逸脱しています。本来お金というのは、食べ物や衣服、家財など、消費出来るものに対しての交換要件であったはずです。それがいつからかお金自体に価値のウエイトが移り、お金を持つことが目的化してしまっています。


そうして現代の悪しき『消費型資本主義社会』が出来上がってしまいます。お金を持っていることがすべての評価基準になってしまい、お金を持っている人≒成功者という図式が無理矢理仕立て上げられてしまった。


ここから逃れるのは実は簡単で、それが前回でも述べた、『生きることの為に生活する』ことを心掛ける、ということです。生きることの為に生活することを実践すれば、お金はそれだけの為にしか必要なくなり、血眼になってお金を稼ぐ、ということが如何に馬鹿げたことかというのが実感されます。


それでも生きて行くのにはお金が必要だろう?と思われるかも知れませんが、考えてみて下さい。現代には発達した文明により、食糧が溢れています。自分で狩りをして獲物を手に入れる時代ではないのです。要は狩猟時代のエッセンスを取り入れればいいだけなのです。
生活のレベルはそのままに、生きることを実践して行く。


そしてこれはセミリタイヤにも通ずる思想だと思います。最小限の生活費でそれを実践して行けば、自ずとその道も見えて来ることでしょう。


このテーマはあまりにも壮大で、途中からちょっと論点がズレて来てしまいましたが、これが大体の概要です。また折りを見て、補完して行きたいと思います。

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