会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

日が短くなって来ると、

体調の方は大分戻って来て、朝も5時には起きれるようになったのですが、仕事をしていたときは、これですぐ飯を食べて、5時40分には出発していた、と考えると、なんだか空恐ろしくなります。


そんな勤務を毎日続けていた、ということに、今更ながら驚愕しています。


とくにこの時期は、外がまだ暗く、そんななか、灯りを付けて一生懸命支度をしていたのを思い出します。そんな労苦に見合うだけのものがあったのか、考えさせられます。


そういえば先日、会社の知り合いの方が見えて、色々近況を話して行かれました。聞けば私が休職するきっかけとなった上司は、役職を解かれたそうです。10数人しか居なかった職場で、次から次へと人が辞めて行き、それでも方針を変えなかったのだからやむを得ないところです。


外仕事の職場で、寒くなって来たり、日が短くなって来たりすると、どうしてもモチベーションというのは下がってしまいます。そんななか、着替えたり、自動車のエンジンを暖気したりするのは、皆なが会社に行かなくちゃいけない、という意識があるからで、その意識があるというのに、それに冷や水を浴びせかけるような言動を平然と繰り返す、そんな人間が職場の長を務めていたというのは恐るべきことです。またそのような状態をみすみす放置していた総務部、ひいては役員連中。本当の元凶は多分ここら辺にあります。


私の方は今年の1月から休職し、最初の2ヵ月間は有休を当てたので、傷病手当金の給付が始まったのは3月からということになります。そうなると、最大で18ヵ月という傷病手当金の給付期間の、これで半分が過ぎたことになります。まあ病状が快方に向かえばそんなものとは関係なく給付は無くなるのですが、一応の目安として、傷病手当金の残り月数は9ヵ月、ということです。


それが終わっても、まだ失業保険の給付がありますし、これから先、そんなに不安要因というのは見当たりません。


いままでこの社会で辛酸を舐めさせられて来た分、制度の恩恵にはとことんすがって行きたい、と思います。

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