会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

大いなる矛盾を抱えたまま社会は回って行く

私の遊び場でもある地元の山々に行くとき、ふもとの集落を通るのですが、その集落のなかにはすでに廃屋になっているものが幾つかあります。


また人が住んでいても、ほぼ外観には手が付けられていないものもあり、ご高齢の方が亡くなれば、いずれここも無人の廃屋になるんだろうなと思います。


このような集落に限らず、街中の住宅地でさえ、家自体に生命感が感じられないところもあり、いったいこの先どうなってしまうのかな、と心配になります。


その一方で、人通りの多い市街地には、コーポなどの賃貸マンションが次々と建てられ、古いものも含めたら相当の数が建っていることになります。また現在も建築中の物件などもあり、施工業者が休日問わずにせっせと働いています。


この現状を、皆さんはどう見られるでしょうか?新しい物件が作られ、経済が回り、社会に活気が出るのはひとまずは良いことだ、と思われるでしょうか?


私はこれっぽっちも思いません。なぜならいびつな形での経済の活性化だからです。


まずあの賃貸の物件というのですが、〇〇建託とか〇〇不動産などの、悪徳企業によって主導されます。地元の地主に話を持ち掛け、土地の有効活用などという名目で賃貸を経営させ、最初のうちは建てたばかりということもあって、入居者が埋まります。


ですがそのうちに、他所の物件も次々と建ち、入居者も入らなくなります。困った地主は〇〇建託に相談し、建物をリニューアルした方がいい、などとアドバイスを受け、〇〇建託に相当の金額を払うことになります。そうして結局は経営が立ち行かなくなり、〇〇建託に売却してしまうことになります。すべては〇〇建託、〇〇不動産の筋書き通り、というわけです。


実際、彼らはいい〇〇ネットや〇〇ホームズなどの仲介業も傘下に収めているため、入居者の操作などもお手の物です。新しく物件が建ったら、そちらに入居者を誘導し、古い物件の地主にはリニューアルなどを促します。そうして経費を上乗せし、最終的には地主が手離すのをただ待つという図式です。


人間というのが如何にエゴイスチックで、利己的な生物かというのがよくわかる構図だと思います。ですがこれは歪んだ形での経済の活性化なので、いずれ破綻すると思います。


本当に社会のことを考えた住宅の斡旋をするなら、こうです。まず最初に書いたような、廃屋になってる物件の持ち主に連絡し、そこを手直しして賃貸として使用していいか許可を得ます。持ち主は管理も大変だし、そのままではお化け屋敷と化してしまう可能性もあるので、誰かに管理して貰った方が何倍も楽な筈です。


そうしてその会社は管理費として家賃の何割かを貰い、持ち主にはその残りを渡すという仕組みです。


この方式を採るには入居者とのマッチングが必要となります。利便性と、賃料の兼ね合いで、最適な物件を見つけられるようなアプリを自治体と共同で運用して行き、価格は高いけど利便性に優れた物件、利便性は悪いが賃料が破格な物件など、入居者が探しやすいようなシステムを構築するのです。


こうすれば、新しい建物を次々と建てることもなく、いまある物件を有効活用出来るので、まさにこれからの時代にマッチした方式だと思うのですが・・・。


ですが世の中というのは、そういう慈善的な事業には手を貸したがらないものです。新しい建物を次々に建て、会社の規模を拡げて行く、そういう目に見える成果にしか興味がない人が殆どです。


大いなる矛盾を抱えたまま回って行くのがこの社会です。

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