会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

『選ばれる側』から『選ぶ側』に

こんにちは、curiosです。


土日といえば、新聞の求人広告が入って来る日なので、ヒマ潰しに眼を通したりするのですが、どれも酷いですね。


スタッフ募集と書いて、レストランのホールスタッフなのですが、時給950円~能力による、などとあります。


能力による、という言葉が、どうにも釈然としません。その能力を見極めるのは、どういう基準なのか、そういう所まではっきりしてくれないと、入ってから騙されたということになりかねません。また、時給950円というのは、それならアンタ自分の奥さんにやらせてみれば?と言いたくなるぐらいの金額です。自分の身内にやらせてみて、納得が行くぐらいの待遇にしてみろ、と言いたいです。


あとショッピングセンター内の清掃や、社員食堂の調理の仕事も時給が低いです。勿論そういうのに慣れた人にとっては、仕事がしやすい、というメリットがあるのかも知れませんが、昨今の物価上昇の世相に於いて、これは酷な待遇だと思います。すべては採用担当の人間(恐らく金にコズルい総務部)の差し金ですね。これじゃ入るものも入りませんよ。


私がこんなに強気の姿勢になれるのは、やはり当面の生活に困らない程度の蓄えを持ったからだと思います。時給1000円だって、働く気にはなれないですね。そもそも時給950円~(↼カラ)なんて、人を馬鹿にしています。


もう『時給』という言葉に嫌悪感さえ抱いている自分がいます。なにが時給だ、フザけるな、もう時給じゃ一生働かんわ、このボケ!と採用担当に吹っかけてやりたいです。お前ら働く人間の足元を見過ぎなんだよ!もうちょっと世の中の動向を見てから物を言え、と。


私も人生の中盤までは会社に『選ばれる側』でした。ですので平身低頭で採用担当の方に接していました。様々な条件を克服し、採用通知を心待ちにしていました。


ですがその度毎に裏切られ、どういう基準で落とされたのかもわからず、また合格したら合格したで、条件とは程遠い待遇だったりと、散々な目に遭いました。それでもなんとか会社生活を続けてきたおかげで、残りの人生をセミリタイヤして生きていけなくもないぐらいの貯蓄を手にしました。つまり、今度は会社を『選ぶ側』になったわけです。


そうなれば、もうこっちのモンです。内容が釈然としない求人や、理不尽な求人広告に対して、堂々とクレームを付けることが出来ます。まあ元から働く気がないので、ただのイチャモンですけどね。


でも、本当に、世界の潮流としても、『働かないという選択肢』を取る人々が多くなっているということで、その流れが押し寄せてくると、ちょっとコワイなという気がします。本当に、世の中がガラッと変わってしまう恐れがありますね。


でもなったらなったで、その変化を受け入れるしかないということです。変化に強いのは、今までの社会で、虐げられて来た人たちです。状況が変化してもなにも失うものもないし、苦境には慣れっこだからです。


そう思って、生き抜いて行きたいと思います。

×

非ログインユーザーとして返信する