会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

『穏やかな飛翔』あるいは『制限された跳躍』

こんにちは、curiosです。


私は昔から絵が好きで、家の事典に載っている画家の絵を、夢中で眺めていたものでした。


前にもここで言ったことがあると思うのですが、画家で成功するのはそれはそれは大変らしいです。生半可な努力だけでは日の目を見ることがありません。運や、良き理解者、そして、持続する志など、すべてが嚙み合ってようやく世に知られるぐらいにはなる狭き門です。


日本では音楽や文学作品で食っていく、というのは(それも決して簡単ではありませんが)比較的容易だと思われます。それは元々のパイが大きいからです。どちらも市場として充分なニーズがあり、また一発当てれば名前が知れ渡るようになっているので、しばらくそれで食い繋いで行くことが出来ます。その間にまた優れた作品を出せば、更にその寿命は延びることになります。


ところが絵画業界はというと、元々が閉鎖的で古い因習に囚われている業界だと聞きます。例えば何かのコンクールで、入賞するのは持ち回りだそうです。前回は誰々が入ったから、今回はアイツだ、というような。正当な作品への評価ではなく、その会への貢献度や古株具合などで判断する。


日本社会お得意の、忖度合戦というわけですね。


これでは優れた作品が出ても、その前に押しつぶされてしまう。また、作品を購入する機会が圧倒的に少ないのもネックですね。絵画なんて滅多に買いませんし、小説や音楽のように皆が気軽に買い求める、ということが出来ない。


ですが絵画には、人の記憶に残って、ずっと強烈な印象を与え続けるという長所があります。


長くなりましたが、私が昔、百科事典のようなもので見て、ずっと気になっていた作品の紹介です。



『穏やかな飛翔』あるいは『制限された跳躍』:カンディンスキー作


カンディンスキーというのは、ロシア出身の画家で、抽象絵画の創始者とされています。ピカソやクレーなどの抽象画の、走りともいえる人です。ぶっちゃけていうと、『凄い人』なわけです。


有名な作品は、コンポジションというシリーズですが、子供の頃に見ていたこの作品が、異様に気になっていました。


そして先日、図書館に行って、その作品を見つけました。私が見た時は、『制限された跳躍』という題名で、まさにこの絵にピッタリだなと思っていたのですが、現在は、『穏やかな飛翔』という題名に改題されています。


ミジンコやミドリムシのような生物が、その跳躍を抑え付けられて、エネルギーのようなものを体内に抱えながら停滞している、そんな絵です。


こういうことは、私の人生のなかで何回もあったなと思います。自由に発言したり、自由な発想を忌み嫌う日本社会。まさにこの絵が日本の置かれた現状を代弁している、と思いました。


この絵を見るたびに、出る杭は打てというのをまだ現役で実践している日本社会の、愚かさを思い知らされます。


私はもうそのような状況で働くことに耐えられないと思います。指図されたり、何かにつけて人の行いをチェックするような連中と労働するのは耐えられません。


この絵はそんな状況を思い出させてくれる転ばぬ先の杖となります。

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