会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

自分のやって来たことはゼロだった

こんにちは、curiosです。


さて、この歳になって、ようやく落ち着いて来たかに見える我が精神状態ですが、ふとしたきっかけで、昔のことがよみがえって来て、暗澹たる気持ちになる時があります。


例えば私は若い時転職を繰り返していました。その最たるものは、地元から離れた工業都市に行って、独身寮に入って工場勤務をしていた頃でした。


なぜそんな所に行ったのか、自分でもはっきりした理由はわかりません。ただ単に生まれた所を離れて、自分を孤独な環境に置きたかったんだと思います。


絶望したとまでは行きませんが、人生を投げていたことは事実です。そういう所に行って、誰にも知られずに孤独に生きたかった。そして何処かの山で人知れず朽ち果てるのが自分の最期かな、なんてぼんやりと考えていました。


若い頃は人生に希望なんてものはまったく見えず、ただただ人生を悲観していました。なにがきっかけでそうなったか、というのはまたの機会に譲るとして、この世の中は皆がみんな前向きに物事を考えることが出来るわけではない、ということは事実だと思います。


そしてたまに、その勤めていた街の近くを通ると、自分がその頃やっていたことは、経験として『ゼロに等しかった』、ということをまざまざと突き付けられて、愕然とすることがあります。


その街で、これといった野望もなく数年間工場に勤め、そして実家を建て直すということで、結局実家に戻り、住宅ローンを組んでまた地元の企業へ勤めることになった。


はっきり言って、こういう人間が、経済的に成功したいとか、社会で確固たる地位を築きたい、と思うのは間違いだと思います。転職を繰り返すことで社会的信用も失っていくわけですし、こういう風にフラフラしている人間を、信用して雇ってくれる会社なんて恐らくないでしょうから。


ですが自分的には、決して努力していなかった、というわけではないのです。自分は自分なりに、必死に生きていた。この色んな意味で厳しい世の中を、どうやって乗り越えて行こうか、自分なりに模索していた。


それが、恐らく大多数の人には伝わらないというのが、私が社会人としてこういう顛末を迎えたことの証し、だと思うのです。結局、定年までは勤め上げることが出来なかった。最後は追い込まれた形での逃避、となった。


・・なんだか今日はその街を通って来たので、こんなネガティブな記事になってしまいました。


本当に、あの街を通ると、『自分のやって来たことはゼロだった』という観念が渦巻いて、平常心を保つことが出来なくなるのです。もうなるべく通らないよう気を付けたいと思います。

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