会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

生き地獄を味わわないために

こんにちは、curiosです。


いままでの人生のなかで自分は、会社員として勤めて来た時間が一番長かったということになります。


会社員になった理由は、それ以外に自分の進むべき道を知らなかったからだと思います。


よく将来何になりたい?などと聞かれることはありますが、それが現実にあり得ないということは、ある程度経験を重ねて来た人ならわかると思います。例え子供の頃にいろんな夢を抱いていても、現実がそれを許さなかったり、また想像していたよりはるかにセレクティブな世界だったりする。


そうしてなんとなく、目の前に示されている、大多数の人が選ぶ道を選択することになる。


その道を選ぶ心境は、恐らく『他にやりたいことも見つからないし、取り敢えずこれでいいか』とか、『やりたいことはあるんだけど、周りはそんなこと期待していない』、などという、消去法的な選択だと思います。


そしてその結果が、恐らく大多数の人が陥る『無難な選択』である会社員です。


そしてその会社員が、決して『無難な選択』ではなく、山あり谷あり、色んな問題のある道だったと(後になって)知ります。そして振り返ってみて、「もしかしたら自分のやりたいように進んでいた方が良かったかも・・・」なんて後悔したりします。


ですがその時にはもう若い頃のようなバイタリティは喪われていて、今更道を変えても進む気力も無い、という事態に陥ります。


そうして大多数の人がきっと悔恨の情とともに人生を終えるわけです。


ですが最初の道を選ぶとき、もうすこし周囲が『こんな道もあるんだよ』と忠告してくれたら、或いはもっと自由な雰囲気で、『会社勤めばかりが人生じゃない』といったアドバイスを与えてくれる人がいたなら・・・。


きっと大多数の人の人生は変わっていたことでしょう。


なんとなくですが、日本は家庭も学校も、『社会の歯車』を量産するために動いている気がしてならないのです。余計な思想は詰め込まず、とにかく社会の歯車に育てるため、せっせとお膳立てをする。そして「これが一番安定した道だよ」、と言いくるめ、社会に送り出す。


本当は山あり谷ありのイバラの道なのですが。


一部の人はそれでもうまくやって、社会的地位を築くことが出来るでしょう。ですが適応出来ない人にとっては、まさに『生き地獄』です。そうして精神や心を病んで、社会から脱落してしまう。


そういう人達に、国や社会はあらかじめ、『人生には夢も希望もないのだから余計な期待はしないように』と暗に言っておいてくれれば良かったのに、と思います。いや、家族の誰かがするべきだったのでしょう。


勿論、最初から酷いイメージばかり刷り込んでも悲観的になってしまうと思います。だからそういう概要だけでもやんわりと教えておいてくれれば良かった。


こんな無駄な回り道をしなくて済んだのに、と思います。


私はいま介護施設に入っている父に対して、そのように言いたいです。あるいは(万が一もないことですが)、もし自分にこの先子供が出来るようなことがあったら、家訓として教え込んで置くつもりです。切にこんな生を歩ませたくないので。

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