会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

世間体という怪物

こんにちは、curiosです。


よくセミリタイヤするとご近所の目が気になる、なんてことを聞きますね。仕事に行っていた頃は昼間は家に居らず、周りの人もそれが普通と認識しているので、たまに昼間に見掛けると、ああ今日は休みなのかな、という程度に思うぐらいだと思います。


私も最近経験したのですが、ご近所の方が組の用事で家を訪れた時、私のことをまあまあ中立的な目で見ていました。ああ今日は休みなんだな、ぐらいの感じで。その後立ち話などもして、これから組の用事もよろしくお願いします、なんてことを言いながら帰って行ったのですが、その次の日も私が庭でのんびり佇んでいるのを見ると、今度は何も言わずに立ち去って行きました。


別に話しかける必要も無かったのでそのまま後ろ姿を見送りましたが、なんとなく居心地の悪さを感じなくもなかったです。そしてその居心地の悪さは、その方が今度はやや懐疑的な目でこちらを見てるように思えたからだと思います。


ご近所の話と言うのは、そういう方たち(誤解を恐れずに言えば年配の女性)にとって格好の話題です。「〇〇さん家の息子さん、昼間もずっといるようだけど、仕事はしてるのかしらね?」、とか、「クルマがいつも置いてあるから、どうやら会社を辞めたんじゃない?」とか。


私としては、世間の人は噂話が大好きというのは充分承知しているし、別に自分のネタがそういう場に使われているということは気にしないのですが、どういう経緯があって自分がそうなったのかというのということも、ちゃんと認識して欲しいと思います。別に怠けようと思って仮病を使っているんじゃない。この社会のなかで頑張った末の『勇気ある撤退』であるということを、キチンとその話に折り込んで置いて欲しい。


噂好きな年配の女性は、自分の旦那はちゃんとした会社に行っていて、安定した生活を送ることが出来ている、そういう優位性をどうしてもひけらかしたい人が多いみたいです。だから異端的な人を見ると、粗を探したくなってしまう。そこにせめてもの慰めを見出したいのでしょう。


だけど、思うのです。会社と言うものを価値判断の基軸に置く、そういうことしか出来ない人たちがこの世の中の画一的な世論の形成を担っている。これはまさに思考停止の典型的な症例です。だから定年まで会社を勤め上げるのが最善で、それ以外はみじめ、安定した生活こそがこの社会の勝ちパターンで、それ以外は可哀そう。そういう単調な思考回路の人たちがいるから(そして恐らく多勢だから)国の策略がうまく機能するのです。いいですか、国家は『悪』です。65歳定年延長制について、安倍総理は言いました。「多くの国民は、65歳を過ぎても働きたいと思っている」。コイツはア〇か、と思いました。誰が働きたいんだ、このク〇レ二枚舌嘘つきスネ夫野郎。


こういう国の思惑が絡んだ政策を、いとも簡単に受け入れてしまう。前述の安定した生活こそが最善と思い込んでいる多くの方々が、こういう世論を形成してしまうのです。
そこから逃れるのは容易なことではありません。世間体という怪物が、普通の多くの人の前に立ちはだかります。


そこから逃れるには、とにかくマスメディアなどの媒体から出来るだけ離れるしかありません。


そして本を読むこと。自分のなかで確固とした世界観・価値観を確立すること。


にしても、そこから逃れるのは大変です・・・。

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