会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

生きなきゃいかんのだよ、ヤ〇トの諸君

こんにちは、curiosです。


なんだか今日のテーマはおちゃらけたような感じですが、いままでこの命題を考え続けた故の結論です。


セミリタイヤなど、早めの引退を考えた人というのは、多かれ少なかれこういう問題にぶち当たった経験のある人たちだと思います。


私も若い頃からこの問題には悩みました。人というのはなぜ生きて行かなけりゃいけないんだろう?


とくに自意識が発達する15歳ぐらいのときは、大いに悩みましたね。すこし背伸びして、哲学書や思想本なんかを読み漁ったりしました。


ですがどの書籍も明確な回答を教えてくれない。もしかしたら魂の問題かも知れない、と、今度は色んな文学書に手を出しました。若さ故の葛藤、のようなものをテーマにしている本です。


ですがこれも、自分にとって救いを与えてくれませんでした。あれだけ本があっても、この問題に関しては誰も納得の行く答えを導き出していない。


試しにインターネットなどで、何故生きなきゃいけない?、などと検索してみても、要領を得ない回答ばかりです。


”生きていればきっといいことがあるから”


”もっと苦しい人たちがいるのだから”


”貴方が生まれて来たことにはきっと意味があるから”


なんて、質問に対して真正面から答えるのではなく、横方向から、悪く言えばはぐらかしたような回答です。


そしてそのような煮え切らない思いを抱えたまま、気が付けば50代になってしまいました。


50代になると、さすがにどうでもいい、という感じです。紆余曲折はあれど、この歳までやって来たのですから。


ですが、昭和のアニメをやっている特集番組を見て、ふと思い立ったのです。


デスラー総統に、言わせれば説得力があるんじゃないかと。


デスラー総統といえば、あの名ゼリフ、『~ヤマトの諸君』というのが有名です。


これにこのテーマを当て嵌めてみます。『生きなきゃいかんのだよ、ヤマトの諸君』、


どうですか?デスラー総統にあの冷めた口調で言われたら、説得力があると思いませんか?


・・・まあ下らないですが、生きること自体下らないので。


もしかしたら生きることの意味は、この下らない生を笑い飛ばすことかも知れません。

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