会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

キャンパスライフというのに憧れていたわけではないが、

私は最終学歴を高校として社会人になりました。


高校を卒業した年は昭和61年で、西暦でいうと1986年です。


時代はバブルの予兆が感じられる、上り調子のときだったと思います。


まさにこれからいいことしかない、という予感に満ち溢れていたように感じます。


大学に行かなかったのは自分の決断でした。そんなに経済的に豊かでは無かったのと、人生にそんなに夢を描いていなかったというのがあります。


その後の人生は、ここにも書いた通り、散々なものとなります。ほうほうの体で離脱し、現在に至ります。


一方、当時大学に行くという選択をした人たちは、まさに一瞬ではありますが、いい時代を味わったと思います。なにしろ社会がグングン豊かになって、その恩恵は嫌でも享受したと思うからです。またいわゆるキャンパスライフというのも、存分に味わうことが出来たと思います。


当時聞こえて来る大学生のライフスタイルというのは、決して感心するものではありませんでした。


・雀荘に通い、麻雀に明け暮れる。


・遊興費稼ぎのためバイトに追われ、講義もロクに出ない。


・コンパに情熱を燃やし、酒と男と女の駆け引きにすべてを尽くす。


・・・こんな感じだったと思います。また時代がそれを許容していたという面もあります。名前も出したくないお笑いコンビの、『一気』という歌に象徴されたように、そういう下らない文化が社会現象にもなりました。


もし当時、真剣に勉学に取り組もうとしている学生がいたら、まさにこのコンビの片割れのような人間に、


「お前は若年寄か!」、


などとツッコミを入れられたでしょう。そして『根暗』のレッテルを貼られ、頭の悪い女子学生に嘲笑されたと思います。


ですが、当時から不思議に思っていたのですが、学生の本分は『勉強』のはずです。それを遂行しようとすることに、なんの不備があるのでしょう?大学に入って、やるべきことはまず最高学府でしか出来ない高度な学業に専念することのはずです。それだからこそ、大学という場所が存在しているのではないでしょうか?


私は別に大学に行けなかった僻みでこんなことを言っているわけではありません。ただ真面目になにかに取り組もうとしている人間を揶揄する風潮が、その当時はあまりに多かったように思います。そしてその風潮が、愚かな社会人を量産してしまった、この時点ですでに日本の凋落の予兆が出てしまっていたのではないか、と思います。


あのバブルの時代、もうすこしそういうことを啓蒙してくれる人間、メディアがいてくれれば、この見るに堪えない日本の惨状に歯止めが掛かっていたのではないかと思います。


なんで高い金を払って、勉学に邁進せずにバカ騒ぎに明け暮れなければならなかったのか?


日本人というのはもうすこし自分を律することが出来る民族だと思っていたのですが、それは私の見込み違いだったようです。

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