会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

レベルの低い人間は淘汰されるべき

私はいままでの会社生活のなかで嫌な目に遭って来たというのは、もう散々言って来たのでご存知かと思います。


そして、申し訳ないのですが、そういう思いをして来た職場、ないしは人物というのは、おしなべて知的レベルが低かったと思います。


この社会には、犯罪予備軍というのが多く潜んでおり、そういう人間と関わり合うのは避けられないところです。そして私の場合、そういう奴らに何度も痛い目に合されて来ました。その記憶がいまだに蘇り、夜眠れないこともあります。


世のなかで犯罪を犯した人間は沢山いますが、この事件のことを憶えている方も居られると思います。



2006年、秋田県のとある町で、子供が水死したのをきっかけに、その母親である畠山鈴香が大きくクローズアップされます。そしてその数日後、今度は二軒隣の男児が何者かに殺されます。


このときにはもう畠山容疑者の仕業ではないかということが、近所でも囁かれていたそうです。そして畠山容疑者は、マスコミを前に暴言を吐いたり、一転して涙を流して無実を訴えたり、分裂症のような症状を見せていたということです。


結局、畠山容疑者は我が子を含む2人の児童を殺したということで無期懲役となります。


私が当時抱いた印象は、この人はもう放って置いたら、どんどん犯罪を繰り返して行くだけなので、淘汰されるべきだ、というものでした。申し訳ないのですが、DNAを途絶えさせることこそが最善の解決方法だ、と思いました。だから無期懲役というのは至極真っ当な判決だったと思います。


この社会には最低限の自浄作用みたいなものはあると信じたいです。犯罪を犯す人間、人をなんのためらいもなく殺すことが出来る人間、そういった人たちは、決して真っ当な社会に存在させてはいけません。なんの理由もなく人を殺す人間を野放しにしておいては、社会としての規律が無くなってしまうからです。


そしてこの世のなかに存在している、犯罪を犯すまでは行かなくても、それに近い行為をしている人間、そういった輩も、淘汰されて然るべき、と私は思います。私事になってしまいますが、一応は社会のルールや規律を守って生きようとしている人間が、面白半分に傷付けられたり、財産を奪われてしまうなんてことがまかり通っていい筈はありませんから。


私の会社生活というのは、そういう人間との戦いだったような気がします。

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