会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

無駄な罪悪感

こんにちは、curiosです。


正月明けに一日出勤しただけで、あとはずっと療養してる状況となります。


流石に肉体的疲労の方は、解消されて来ました。身体も軽くなってきた気がします。


それと同時に、身体がなまる、といった感覚も出始めて来ました。四六時中身体を動かしていた身なので、まあ当然のことです。


以前なら、これはすこしなにかやらないと、と勤労に向かう意欲も持ったりしたのですが、いまは適応障害の薬を飲んでいるので、そういう意欲があまり湧いてきません。


ですがこの意欲は置き換えれば、なにもやらないことに対する罪悪感、と取れると思います。若い頃はそういうものが無理やり何処かへ就職する、という選択肢を生んでいたのですが、流石に自分のような何回も打ちのめされてる経験を積んできた者には、なかなか芽生えません。


この罪悪感は、いわば世間の罠です。いい歳して無職なのか、という周りの目、また親類縁者の批評的な言動、そういうものが無理やりその人間を働くという枠に押し込んでいる。


何故世間はそういった下世話な批評をしたがるのでしょう?それは人が落ちて行ったり、打ちのめされたりする姿を見るのが楽しいからです。俺はこんなにしっかりやっているのに
あいつはダメだ、俺はこのぐらいのことじゃへこたれないが、あいつはすぐ泣く、そんな批評をして自分が盤石だという優越感を味わいたいのです。


ですがその実、そういった人たちがいないと、今度は自分が更に上のポジションの人たちからそういう批評を受けてしまう。その不安に怯えるからこそ尚更そういった人たちを叩きたいのです。


そういった社会の澱(おり)のようなものが弱い人たちに向けられている。これが『無駄な罪悪感』の正体です。


若い頃はそういったものに突き動かされて無闇に次の職を探したりしていましたが、年を取ったいまとなってはもう突き動かされません。その正体を知ったからには、今度はそういうものに丸め込まれないよう注意しよう、となります。


ようやく社会というものの罠を見抜くことが出来るようになりました。これからは、自分が損にならないということだけを念頭に行動をして行きたいと思います。

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