会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

消費する社会への反発

こんにちは。


昨日の山登りに掛かった費用ですが、恐らく500円も掛かっていないと思います。


家から西丹沢自然教室までは大体30km、往復60kmあるのですが、カブで行ったのでガソリン1リッターで済みます(160円)。


そして持って行ったのはペットボトルのコーヒー飲料1本と、水筒の水、自分で握ったおにぎりのみ(コーヒー120円、あとは計算が面倒なので100円)。


まあ細かいことを言い出せばバイクの保険代とか切りがないのですが、それでも趣味として驚くほど費用が掛からないのがわかります。


リタイヤ後の趣味が登山となっている最大の理由が恐らくこれだと思います。


ですがこの消費社会にとっては溜まったものではありません。


私も若い頃はそれなりに欲望がありましたので、色々なことにお金を使っていました。そしてそれはこの社会を維持しようとするフィクサー(黒幕)側には誠に都合が良いことでした。若い頃はまあそういうこともある、というイージーな結論で片付けることが出来たからです。


確かに、そんな風なことを言われたことはありませんか?若い時は細かいことにいちいち拘らないでどーんと遊べ、なんてわかったようなことを言う御仁です。


そういう人間は大概私のような人間を嘲笑して来ました。若さがないだの、暗いだの。その人の内面にどんな現象が起きているのかも気に留めず、とにかくステレオタイプな『若さ』を錦の御門にして、相手を論破しようとします。


もしかしたらそういう類いの人間は、この消費型社会を維持しようとする黒幕が造り上げた、傀儡なのかも知れません。そういった連中を仕込んで置いて、消費を促し、バカ騒ぎのようなものを肯定する人種が優位に立つよう先導した。


だから私のような人間は、その煽りを受け、迫害される他なかった。下らない連中から貶められ、受けなくてもいい嘲笑を受け、小馬鹿にされた。


自分ではそいつらの方がレベルが低いんだということがわかっているのですが、そんな連中を相手にすること自体が虚しく、バカバカしかったので、取り合いませんでした。ですがその趨勢も、変わって来たようです。


幾ら浪費したって、バカ騒ぎしたって、自分たちの立場が安泰になるわけではないということに、気付き始めて来たようです。黒幕側が仕込んだ神輿のようなものに、ただ乗せられていただけだということに勘付いて来た。


ただいままで染み込んだ浪費癖のようなものは、なかなか抜けないでしょう。それは麻薬と同じで、脳内からの快楽信号となって押し寄せて来ます。若い頃に染み付いた性分は、なかなか取れないのと同じです。


こちらは若い頃に迫害された分、しっかりとそのさまを観察させて貰うことにします。

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