会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

富士山の噴火と人間の愚かさについて

昨日の記事で、富士山の噴火の記事をよく目にするようになったと言いましたが、実際、噴火が起きたらどうなるのでしょうか?


まず噴火の位置にもよると思いますが、例え私が住んでいる静岡県東部とは違う方向から噴火したとしても、火山灰などの飛散は避けられないでしょう。この辺りの風向きは富士山方向からの風(富士下しとも言う)が多く、その強烈な風は木の形を変えてしまう程です。また雲の流れも西から東なので、大体において富士山方向から天気が変わって来ます。


そして噴火口が逆向きではない場合、溶岩が流れて来ます。この辺りは富士山から遮るものがないので、勢いにもよりますが、10時間ほどで到達してしまうと言われています。


この間『位牌岳』という愛鷹山系の山に登りましたが、溶岩帯のような所が多く、過去の富士山の噴火で、溶岩流が流れて来た場所ということがわかりました。こういう場所を見ると、富士山というのは活火山だったんだな、ということがわかります。



こういう場所に居ると、自ずと厳粛な気持ちになってしまいます。数百年前の噴火の爪跡が、変わらずに残っているからです。


そんな光景を見ていると、我々人間が造り上げた世界なんて、いとも簡単に溶岩の下敷きになってしまうぐらいのものなんだな、と思います。そしてそんな世界であくせくしている人間という存在、本当に愚かです。


話しを元に戻しますが、宝永の大噴火のとき、私の住んでいる町の富士山に近い地区の村は、火山灰や砂礫に埋もれて全滅してしまったそうです。そしてその地区は、いまでは街となって復活し、結構な賑わいを見せています。


歴史からなにも学ばない、なんてありきたりの言葉で済ませるのは簡単です。ですがそれ以上に人間の持つバイタリティ、業の深さみたいなものに恐れを抱かざるを得ません。


結局、人間の原動力というのは『愚かさ』に頼る面も大きいのでしょう。

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