会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

日本のムラ社会

こんにちは。


もう田植えの季節が始まりますね。


我が家は田んぼに囲まれているので、農家の人が耕運機を使って耕したり、畦を作ったり、下準備をしているのをよく見掛けます。


農家の人というのは勤勉でもある反面、他の農家の動向をチェックして、それに対して自分たちが遅れていないかというのを気にしたりもします。


そうして他の農家の作業がどこまで進んでいるかというのを、競争意識を持って見守っています。


前に近くの農家のおじさんと世間話をしたのですが、土手の草刈りをするのに、隣りの田んぼが何回やったから、ウチもあと1回やらないと、というようなことを言っていました。つまりウチは何回やればいい、という基準を持っているのではなく、隣りの田んぼの持ち主が3回やったら、ウチも3回やらないと気が済まない、という話し方でした。


これは必要性というよりは、面子のようなものを重視しているという感じでした。田植えまでに土手の草刈りを何回やるか、科学的な判断をするというのではなく、隣りの農家とのせめぎ合いをしているということです。


私がもし農家だったら、伸びて来たら1回やって、そして田植えの前にもう1回やれば充分だろう、という考えをすると思います。科学的な見地として、2回で充分だろう、という見解だからです。


ですが農家をやっている方々は、そこにプライドや意地といったファクターも加わります。土手が綺麗に刈られているかどうかが、目に見えない触手となって相手に襲い掛かるのでしょう。そうとしか考えられません。


そして実はこういう心理戦が、この世の中の至るところで起きています。そしてそれが、他の人に対しての無用なプレッシャーとなって作用しています。


例えばコロナの5類引き下げによって、原則マスクは着用しなくて良くなりました。ですが実際はどうでしょう?スーパーに入る時、マスクを着用しないで入るという行為が、なんの抵抗もなく出来るでしょうか?自分にもそのような圧を掛けてしまうでしょうし、周りの人の眼も無言の圧を掛けて来ると思います。ですがマスクをしないというのは全く非難される行為ではないのです。


日本のムラ社会のどうにもならない閉鎖性というものが、こういう風に作用してしまっています。


私はここで、農耕型社会の弊害というのを度々述べて来ました。そして会社でも、実際にそのようなせめぎ合いを肌で実感して来ました。そしていまの世の中は圧倒的な閉塞感に満ちています。


日本という国が、その時代遅れな閉鎖性によって、どんどん先進国の座から脱落しているのです。

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