会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

勤勉さとユーモアの有無

こんにちは。


世間ではとにかく体を動かしていないと気が済まないという人たちがいて、そういう方たちは一般的に勤勉だと言われています。


農家の人で、稲作が終わったら今度は冬の作物を植え、それが終わったら畑の準備、なんていう方も居ますね。しかも会社員と二足のワラジを履きながら、という場合もある。


ですが、そういう人たちのモチベーションの源泉はなにか?ということを考えてみると、ちょっとげんなりします。


結局彼らは自分で楽しみを見付けることが出来ないために、とにかく体を動かして迷いを振り切ろうとしている。それで儲かるんだから一石二鳥だろう、なんて見方もあるかも知れませんが、それでは困るのです。


何故かというと、金儲けが楽しみになってしまうからです。そして、農耕文化が始まったと同時にそういう輩が出て来てしまったと私は分析します。


狩猟文化のときは、なにかを貯めるなんて発想は無かった。勿論ちょっとした木の実などは貯めていたでしょうが、基本的にはその日に取って来たものはその日に消費していた。


そうして他にはとくになにもしていなかった。怠けるという概念も無かったんじゃないですかね?獲物を獲っているとき以外は、横になってゴロゴロしていたり、ゲームをしていたんじゃないでしょうか。つまり生きるということを楽しんでいた。


農耕民族になって、何故かひたすら働くという人が出て来た。それは作物を貯蔵して置くことが出来たからでしょう。働けば働くほど、それらを貯蔵して物々交換したりも出来るようになった。またお金というものがそれに取って代わってからは、お金がその役割を担うようになった。価値のすべてをお金に置き換えることが出来るようになったのです。


そして現在、お金を価値基準のすべてに置く人、お金に異様なほどの執着を見せる人など、その弊害が至る所に出て来ています。お金なんて所詮はなにかを手に入れるための交換要件でしかないわけです。つまり、そのお金を使ってなにをするかが肝心であり、お金が幾ら手元にあったからといって、それを自慢出来るというわけではないのです。


そこのところを勘違いした人々が多過ぎます。そうして、そういう概念を信じて疑わない人々が、いたずらに勤勉さを賛美し、このような社会を作り上げたと私は分析します。こういう人々に苦しめられて来たので、私はいまそういう人たち(会社員でとにかく働けという姿勢を見せ付ける人たち)が憎くて溜まらないのです。


人生にはユーモアがないとダメだというのはよく言われることです。その人にユーモアがあるかないか、些細なことのように思えますが、実は大事なことです。上に挙げたような人々は間違いなくユーモアのセンスがない人たちです。何故ならひたすら金儲けのことだけを考えているからです。


私はすべての人に、ユーモアがあるかないか、その基準を適用してこれからを生き抜いて行くつもりです。

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