会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

TVの偽善

こんにちは、curiosです。


私も子供の頃はTVっ子でした。学校から帰って来るとまずTVを付けて、夕方のアニメの時間を楽しみにしていました。その後夕食を経て、7時からのバラエティやドラマ、必死に見ていましたね。


昔はまだアニメやドラマが7時や7時30分からやっていたんです。また今のような2時間とか3時間の枠ではなく、30分刻みでした。だから次から次へと目まぐるしく番組が変わり、飽きさせない、という面はあったと思います。


アイドルの歌番組なども、よく見ました。日本人は歌が好きですよね。また当時のアイドルやタレントは皆さん本当に必死でした。憧れのTVに出られる、という嬉しさが滲み出ていた、と思います。スターダムをのし上がっていく、そんな過程も楽しめましたね。


それから各TV局のアナウンサーなんかも結構有名になりました。とくに女子アナなんかは一部のアイドルよりも人気になった。アイドルは可愛さや純真さが売りでしたが、女子アナはそれに気高さも加わった。一流企業に勤めて、なお且つ知性を兼ね備えている。これは最強の存在でしょう。


そんな女子アナの、バラエティみたいな番組も出てくるようになった。温泉に行ったり、グルメを堪能したり。そしてなんといってもみんな楽しそうですよね。和気あいあいと、無二の親友みたいに語り合っている。夕方のローカルの情報番組も、ちょっと過剰なぐらいにまで和気あいあいです、お前らそれは本当の姿なのか、と勘繰りたくなってしまうくらい。


あの手の番組特有の、みんな楽しそう、みんなで語らい合っている、そんな空気感が、私は苦手なんです。とにかく楽しく、明るく、その場を演じ切るという使命感のようなものが感じられてしまって。


自分がすこしコミュ障という面もあるのでしょうが、あれが真実だとしたら恐いです。だってどんな人にだって好き嫌いはあります。話が合わない人、波長の合わない人、絶対に存在するはず。そういうのを一緒くたにして、『みんな和気あいあい!』という番組作り、絶対に無理があるはず。


これは日本特有の文化だと思います。とにかく集団での統合性のようなものが求められる日本社会というのは、その場の雰囲気を壊すような人というのは敬遠される。逆に欧米などでは、なにより『個』のパーソナリティが尊重される。多分、アメリカやヨーロッパではあの手の『和気あいあい』は演じられないはずです。行ったことはありませんが。


ああいうのを見ていると、如何にも業界然としたディレクターが、「はい、〇〇ちゃん、もっと声張って~、MCに拾われないよ~!」などとチャラいアドバイスをしてる様が浮かんでしまい、拒絶反応を起こしてしまうのです。


とにかく明るく、楽しくをモットーにした番組作りはまあいいと思います。ですがそれを日常生活でも演じなければならない、となると苦痛です。世の中がみんなそういう風に思い込んでしまう、そんな危険性もある『TVの偽善』。私たちのような社会に見捨てられた側の人間からすると、警戒感を持たなければいけない存在だと思います。

×

非ログインユーザーとして返信する