会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

人手不足の発端は何処に?

こんにちは、curiosです。


日曜日の新聞には求人の募集広告が入ります。以前から、欠かさずチェックしています。


そこで探すのは、必ずしも正社員の仕事ではなく、これからの数年間を、穏やかに乗り切ることが出来るぐらいの業務内容の仕事をメインに探します。


ということは、資格を活かした仕事ということになります。設備管理や、監視業務、運転手などです。


設備管理は正社員の募集もありますが、運転手などは時間給が多いです。これには理由があって、運転手と言うのは送迎の時間だけ来て貰えればいいからです。朝の一回と、夕方の一回。勿論施設によっては草刈りなどの作業もありますので、終日ということもあります。


私は若い頃は工場に勤務していたので、工場のラインなどでもいいのですが、いままで辛酸を舐めて来た記憶がありますので、あまり気が進みません。工場というのは、独特の雰囲気があって、いまからそれを追体験するのには、ちょっとバイタリティが必要です。


そんなことを考えていたら、なんだかこういう募集広告を見て働き口を探すというのも、バカらしくなって来ましたね。こっちは必死に働こうという思いでいままでやって来たのに、ことごとく蹴られたり、値踏みされたりして来た。その会社の採用担当というのも、いい人材を探そうという思いで取捨選択をしているのでしょうが、その行為は当人の想像を超えて残酷であり、非情なものだと思います。


だからセミリタイヤなんていう思想が、世の中の支持を得て来るのです。企業があまりにも合理的且つ非情過ぎて、人を選ぶ目も殆ど物を選ぶような感覚になっている。そうしてその人が払った労力の代償は、『これからの発展をお祈りしています』などというふざけた文の通知だけです。


そんな思いを何回もすれば、誰だってヤケになります。そうして必ずしも会社に勤めるだけが人生の選択肢じゃないんだ、ということに気付きます。


今の、働き手がいないという社会問題は、殆ど企業側に起因するのです。

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