会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

釣りをバカにして来た先輩

私は若い頃から釣りが好きで、エサ釣りやルアー釣りなど、いろんな釣りをやって来ました。


昔は釣りというのは、なんとなくおじさん臭いというイメージがあったと思います。


とくにまだ青春真っ只中の人間が、釣りが趣味だなんていうと小馬鹿にされました。


そのとき勤めていた会社で、釣りに行く、なんて言うと、


「お前は釣りなんかよりももっとやることがあるだろう」


と、バカにされました。要はいい歳なんだから女の子のケツでも追っかけとけ、と言いたかったのだと思います。


確かにその当時はまだ彼女なんてものはおらず、自分的にもなんとかしたいなとは思っていました。つまりその先輩の言うことにも一理はあったということです。


でもそれとこれとは話は別だろうとも思いました。まずその先輩の、


『釣りなんかより』という言葉が気になりました。なんかより、というのは、釣りというのは孤独な人間のやることだ、というニュアンスを含んでいました。


釣りというのは別に孤独な人間だけのやるものではありません。まあ孤独な人間が集まりやすい特性があるのは否定しませんが、明るくワイワイやりながらやる時もあります。


それと、時代はバブルの渦中ということで、釣りなんて辛気臭いことをやっている場合か、というニュアンスも含んでいました。要は私がこれまで何回も言っていた、バブルの喧騒にそのまま乗っかってしまった手合いの代表とも取れる発言だったのです。


そういう時代でしたので、黙ってやり過ごすしかありませんでした。そしてなんとなく釈然としない思いを抱えていました。


ですがバブルが過ぎ去ると、釣りという趣味は俄かに脚光を浴びるようになりました。喧噪に疲れた人たちが、自然のなかで癒される釣りという趣味に、引き寄せられていったのです。


また不景気にもなり、お金の使い方を落とさざるを得なくなったという理由もあると思います。


ですが再三言いますが、バブルの頃が異常だったのです。そんな瞬間最大風速の派手な感覚を身に付けてしまい、それを人に押し付ける、なんという罪作りな行為でしょう。


私は自分の洞察力にはそれなりの自信を持っていました。バブルなんて悪い夢のようなものだと思っていたし、釣りというのが一過性のものではなく、ずっと付き合って行ける息の長い趣味だというのも気付いていました。


しかしその先輩は、威勢のいい時代の流れに身を任せ、放蕩の限りを尽くすことしか考えていなかったのです。


ア〇な先輩の後を追い、借金地獄に陥らなくて本当によかったと思います。

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