会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

人間の本質は変わらない

こんにちは。


いま世界では食べ物がなく、餓えに直面している子供たちが沢山いるということです。


とくにアフリカの子供たちの飢餓から来る栄養不良は深刻で、コレラなどの伝染病に掛かる確率が上がってしまうとのことです。


ところで、皆さんは寄付などをしたことはありますか?


私は会社の募金箱にはしたことはありますが、個人ではしたことがありません。こういう寄付金の行方に関しては、いい噂を聞かないからです。


まずこの寄付を募る団体ですが、ユニセフとか日本赤十字とか、そこの団体にかなり取られてしまうと聞きます。もちろん運営費という名目はあるのでしょうが、こういう団体の懐に入ってしまうというイメージがあります。


そして、その残った金額を、支援国に送るとしましょう。その支援国が公正な視点を持っていればいいのですが、大体においてそういう支援国の指導層というのは独裁的な人間が多いです。そこから実際に当事者の所に届くまで、幾ら『中抜き』されるのか、想像に難くありません。


こういう風に書くと、そういう憶測だけで物事を判断して、行動を起こさないのはそれ以前の問題だ、と思われる方も居るかも知れません。ですが私は知っているのです、人間の本質を。


何処の世界にも、悪知恵を働かせる人間というのは居て、先進国でも後進国でもそれは変わりません。貧しい国々に食糧を、という活動は至極真っ当なものですが、それを純真な思いからやり遂げたい、と思う人間は、本当に極僅かです。残りの人間は、その活動がなにかしらの+αに繋がるという計算をしています。


そして先進国はその+αを間接的に、後進国は直接的に得ようとします。つまり、慈善団体の運営費としてそのお金の何割かをキックバックするのが前者で、末端に届くまでにあらかた懐に入れてしまうのが後者です。


やり方が巧妙かどうかの違いだけで、物事の本質は変わらないことになります。


もし私の了見があまりにも狭くて、純粋な善意だけで活動している人も多くいるというのなら、世のなかはもっと良くなっている筈です。


私はこの世のなかを冷静に見極めて、自分の経験も踏まえた上で物事を判断してるつもりです。


もし私の見方が一方的過ぎるというのなら、どうしてアフリカの飢餓は一向に改善しないのでしょう?

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