会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

定年65歳延長について

こんにちは、curiosです。


私は『FIRE』という生き方を知るまで、60歳まで働くのはしょうがないと思っていました。定年まで働かないと、住宅ローンはあるし、その後の蓄えも不安になります。自分がいままで会社を何度も変わって来たので、給与水準も一つ所に勤めている人からすれば低いままです。自分の意志の弱さが招いた結果なので、定年まで勤めるのはしょうがないな、と思っていました。


ですがFIREという考え方によって、自分の目の前がサーッと明るくなりました。嫌々ながら60まで働かなくても、自分がリタイヤするという強い意志があれば、あとすこし頑張って資産を貯めればなんとかなる。まさに負け犬人生からの脱却でした。


ですがその前の、まだFIREという概念を知る前の自分は、当時首相であった安〇晋三の、『多くの国民は、65歳を過ぎても働きたいと思っている』という発言に、「なにを言ってるんだこの〇〇は」、との思いを禁じ得ませんでした。一刻も早く会社生活を終了させたい自分にとって、そんな暴言は許されるものではなかったのです。


この発言の真意は、年金受給開始を遅らせたいという意向と、少子高齢化によって働き手が確保出来なくなる、といったことへの対応策ということでしょう。それならそうだと正直に言えばいいのに、「多くの国民は65歳を過ぎても働きたいと思っている」、などと、働かざるを得ない人々の声だけをピックアップして取り上げている。「多くの国民は出来れば働きたくないが、諸事情により働かざるを得ない」という事実を覆い隠しているのです。


なんでこんな奴隷生活を、望んで65歳まで続けなければいけないのか。私は思います。


『本当に奴隷になってしまうぞ』と。


身を粉にして働いて、それで70まで勤めて幸せと感じるなら、それはマインドコントロール下にあるという証拠です。働き続けて、感覚がマヒしているのです。まんまと国、或いは政府に騙されているという証拠です。


それにまんまと乗っかって、70まで働けてよかった、と感じる。そんな人たちを、私は可哀そうと感じずにいられません。働くことはいいことだ、美徳だ、自分が70まで働いたのは誇りだ、などと明らかに国の戦略に誘導されてしまっているのです。


セミリタイヤを志す人たちは、その戦略を、思想的にも方法論的にもかわすことが出来る幸運な人たちだと思います。そして、『真実を覆い隠す』という国家特有の欺瞞を見抜くことの出来る、賢い人たちです。


ですがこれから迫害されないか、それだけが心配です。『国家に対する重大な反逆行為』と受け取られかねないですから。それまでは、真面目に働いてる『フリ』をしときましょう(笑)

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