会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

生き延びること(〇なないこと)

こんにちは、curiosです。


先日、肉体派の有名俳優が自宅で縊死された、というニュースを見て、あんなに有名で、将来的なことに対する不安も無さそうに見える俳優が、自ら死を選ぶということに衝撃を受けました(と思ったら、なんと今日も某お笑いトリオのお1人が亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りします)。


と同時に、『人生、一寸先は闇』という言葉が浮かびました。どんなに好調に見えても、人には見えない不安がある。ふとした瞬間に、魔が差すといったようなことがあるのかも知れない。


芸能人や著名人が自殺すると、真っ先に思うことは、『俺は自殺しないぞ』ということです。滑稽かも知れませんが、そういった方々からすれば取るに足らない存在の私でも、常に頭の片隅にそういう不安を抱いていた時期があったからです。


何故そう思っていたか、それは将来になにひとつ希望を持てなかったからでした。行く会社行く会社で爪弾きにされ、人間関係はうまく築くことが出来ず、家の事情も圧し掛かって、人生の好材料と言えるものが全くなかった。


冗談抜きで、30ぐらいで自分は何処かへ逝くんだろうな、と朧気に思っていました。その『逝く』ということは、〇ぬことであったり、失踪することでもあったり、また新宿2丁目のゲイバーで働く、という選択肢であったりもしました。これは冗談ではなく、半ば本気で考えていました(爆)。


そんな葛藤を抱えながら20代を過ごし、まあ落ち着いたという所でしょうか、40手前当たりから、不器用でもいいから生きること、という命題に辿り着きました。死なないこと、生き延びること、それが大事だということ。


本当に、不器用ながらもここまで生きれたというのは凄いことだと、思い始めることが出来たのでした。これだけの葛藤を抱えながら、まあ一応社会のなかには自分を置くことが出来ている。増してやグレて犯罪を犯したり、法に触れるようなことをしているわけではない。


これは凄いことだ、と(ほぼ自己満ですが)。


芸能界でも、その素行を散々叩かれ、批判の矢面に立たされた人は何人もいます。そういう人達を思い浮かべると、不思議と自殺した人はすくないと思うのです。逆に自殺した人の顔を思い浮かべると、何も叩かれず、却って公私共に順風満帆だった人がその道を選んでしまう、そんな傾向が浮かんできます。


一概には言えませんが、不器用でもいいから生き抜くこと、その定理を身を持って実感した人だけが乗り越えられる道、みたいなものがあるんじゃないでしょうか。ここ最近自殺した方々を思い浮かべると、皆なスマートで、人から好かれるタイプだったように思えます。そういう方々はきっと、周りからもそういう存在であることを期待され、不器用な生き様のようなものを曝け出すことが出来なかった。


叩かれるのがいいというわけではありませんが、人間の本性というのはもっとどす黒くえげつないものだ、ということを体感して置くことが大事なような気がします。

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