会社生活を駆け抜け(た)日々

山に釣りに、リタイヤ後の人生を謳歌する日々です

中学生の頃は透明人間になろうと思っていた

こんにちは、curiosです。


子供の頃はよく透明人間になったら、なんて想像しますよね。私も想像していました。好きな所へ行って無料でアトラクションに乗ったり、はたまたちょっと大人の香りのする場所へ潜入したり、如何にも子供らしい『無邪気な空想』だと思います。


ですが中学生の頃からでしょうか。私は別の意味で『透明人間』になりたいと思っていた。なかなかにこの世の中が苦痛で、色んな事に怒っていた。生きるのも、勉強するのも、何処かへ行くのも、友人と遊ぶのも、全てに何故こんなことをやらなきゃいけないんだろう?という疑問を抱いていた。今で言う『中二病』ですね。


社会に蔓延るそれらの雑事を、すべて逃れるのにはどうすればいいのか。人と関わるとどうしても逃れられない、ということはわかりました。だが義務教育となっている学校には通わなければならない。こんな私でも、学校を辞めたらそれからの人生が厄介なものになる、ということだけはわかりました。


それなら、『透明人間』になればいいんじゃないか。出来るだけ存在を目立たなくして、ひっそりと生きる。いるかいないかわからないぐらいにまで自己を抹殺して、面倒な事を回避する。


その目論見はうまく行きました。皆で明るく笑い合うような集団からは、声が掛からなくなりました。時々はからかわれるようなことがあったものの、反応しなければ彼らも飽きていきます。二、三のおとなしめな友人と、時折会話を交わすぐらいで、後はひたすら自分と向き合っていました。


いまならこういう若年期特有の状態を、『中二病』と呼んで、こういう時期もある、といった暖かい目で見て貰える状況にありますが、当時はそんな気の利いた言葉はありませんでした。それどころか、『根暗』という言葉が流行り、あいつは暗い、という烙印を押されるだけ。本当に、『明るい奴ら』の思考の浅さというのには舌を巻きます。


その後、会社に入って、会社というものは、自分のような人間を徹底的に排斥したがる場所なんだということを知ります。組織においては、自分が軽蔑していた『明るい奴ら』の方がよっぽどうまくやっていける場所なんだということも。それから長い苦闘生活が始まりました。いまでも続いています。


ですが、セミリタイヤという道が眼の前に現れて、ふとあの頃の自分を思い出したとき、なんだか『我が闘争』、といった感じで微笑ましいな、と思えるようになったのです。精一杯の自尊心を抱えて、クラスのなかで存在を消すことにだけ夢中になっていた自分。


その努力が実を結ぶことになったのか、自分でもわかりませんが、恐らくセミリタイヤ後の生活には役に立つことでしょう。我慢強さは自分の取柄でもあります。

会社をやめるために人におもねらない

こんにちは、curiosです。


皆さんは『おもねる』という言葉を知っていますか?意味としては、その人に合わせる、ご機嫌を伺う、と言った意味です。


言わば職場などで立場が上の人が言ったことに、異論はあるとしても合わせてしまう、といったことです。


八方美人、意志が弱い、といった人たちの共通点だと思います。私も当たらずも遠からず、といった感じで、いちいち異議を申し立てるよりは、その方が(その場の)居心地はいいです。


ですが、その場はいいとしても、それが後々大きなひずみを生じる場合があります。段々その同調圧力というものに飲み込まれ、自分の思っていた場所とは違う場所に運ばれてしまうときがある。時すでに遅しで、自分のなかに大きな悔恨が残ります。


職場を、或いは会社をやめるためには、この『おもねる』という行為を止めなければなりません。いままでは『いいやいいや』でやり過ごしてきたことを、しっかり『これはこう思います』と自分の意見を通さなければならない。


恐らく『おもねる』人の大半は、人に嫌われたくないという性分の人が多いと思います。あと人と争うのが嫌い、という人も多いでしょう。ですが、どうせそこは辞めるのです。職場の同僚とはもうそんなに長く付き合うこともない。後はたまに外で顔を合わせるだけでしょう。その頃にはあなたの顔なんて忘れてるかも知れない。


もし会社をやめるという方針を、しっかり打ち出すことに決めたなら、まだ意思表示はしていなくても、人に『おもねる』行為は止めた方がいいです。すこしずつ、態度に表していきましょう。普段だったら、コイツこんなことにいちいち突っかかって来ないのにな、ということにもいちいち異議を唱えるのです。自分の思ったこと、或いは正しいと思ったことにはたとえ些細なことであっても反論する。それが本当に正しければ、それ以上突っ込まれることはないです。


こう考えると、会社というのは『いるのも地獄、去るのも地獄』、といった感じで、本当にいいことが無いように思えますね。きっと『辞める』という意思表示を会社にしてからの日々は、針のムシロだと思います。


ですが、我々のような『勤続だけは長い奴隷的会社員』には『毎年流している使わない有給消化』という奥義があります。退職届を出したその次の日から、その有給を全消化して、上司や同僚に顔を合わせずに職場を去る、という離れ技も可能です。退職届を出してから、二か月間は給料を貰いながら、悪夢のような日々を振り返る、ということが出来ます。


もう、そんなに自分も長くはここに居ることはありません。そろそろシフトを、『人におもねらない』仕様に変えていくつもりです。

健康診断

こんにちは、curiosです。


この時期になるとウチの会社では健康診断を実施します。一年に一回は自分の身体の状態をチェックして不具合を修正する、そんな時期になりました。


今年一番ショックだったのは視力がガクンと落ちたことです。52歳までは左右とも1.5だったのを、53で左1.5、右1.2、今年はとうとう左1.2、右1.0まで落ちました。


視力が自分の生命線だと思っていただけに残念です。


あと体重は、年々増加しています。もうすぐ80kgを突破しそうです。お酒の飲みすぎでしょう。節制しなくては。


その絡みで、中性脂肪やコレステロール値、なんてのも、軒並み黄信号です。恐らく中年サラリーマンの陥る、ストレスによる暴飲暴食の典型的な症例だと思います。


この状態で過酷な勤務を続けていくことへの『漠然とした不安』というのはあります。自分の身体をどんどん壊して、それと引き換えに日々の賃金を得る。上司にはプレッシャーを掛けられ、ある日突然詰まった血管のなかで何かが破裂し、病院に運ばれる・・・。


そして一命は取り留めたものの、なかば半身不随で、好きなことも出来ずに余生を送る。そんな羽目になるのはゴメンです。


健康診断というのは、労働社会のなかにおけるシステムですが、それでも奴隷の身体を『一応は気に掛ける』という点ではいいシステムだと思います。それによってこちらもそれ相応の『迎撃態勢』を取れますから。迎撃態勢というのは言うまでもなく、このクソみたいなシステムへの復讐ということです。


それまでに、もうすこし痩せなければ(笑)