会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

テリマヨチキン定食

以前になにかのニュースで見ましたが、日本人が幸せを感じるときの第一位は、


『美味しいものを食べているとき』、だそうです。


外国では、『恋人と愛を確かめ合っているとき』が一位だと思います。


私もこの結果には驚きました。食欲というのは、いわばいちばん原始的な欲求です。そこには情緒や精神性なんてものは介在しません。


腹が減る⇒取り敢えずちかくにあるものを食べる⇒空腹が満たされる


という図式で表されるものであり、腹に入りさえすれば、なんでもいいのです。


もちろんなんでもいいからといって、新聞紙やおがくずでいいというわけではありません。しかし本当に腹が減っているときは、取り敢えずなにかを詰め込んどけば、不思議と欲求は満たされます。


それだけ食欲という欲求は、原始的だということです。


それに較べて、恋愛から発展する性欲というのは、いろんな要素が複雑に絡み合った、本当に高次の欲求だと思います。


お互いの思惑、相手を支配したいという欲望、思い通りにならないことに対する焦り。


そんなものが入り混じり、それが成功したときの達成感というのは格別です。これはちょっとほかに見当たりません。


それなのに、日本人はその快楽よりも、食べ物を食べたときの快楽の方が上だという。これって文化的・国家的な危機だと思うのですが、如何でしょう?


ですがわからないでもありません。異性とそのような関係性になるのは、とくにシャイな日本人の場合、かなりの精神的負担を求められます。そして自己を奮い立たせて意中の人に向かって行っても、それが実を結ぶという保証はどこにもありません。


それよりも、お金さえ出せば、かならずそれ相応の見返りを与えてくれる食べ物という存在、それに安住の地を求めてしまうというのもわからないでもありません。



テリマヨチキン定食です。


こういう画像を見て、快楽物質が出ない人というのもそうそういないんじゃないかと思います。


私はしっかり食べました(爆)。

ニワトリの死

先日飼っていたニワトリの、2匹目が死にました。


1匹目は4月の初旬、2匹目は5月と、立て続けに逝ってしまった感じです。


2匹はとても仲が良く、恐らく1匹目が死んでしまったことで、相当堪えたんだと思います。そのため生きる気力というものを失ってしまったのではないか、と思われます。


飼っていた年月は3年半ほど。ウチに来た時が生後6ヵ月だったので、4歳で死んだことになります。


毎日卵を産んでくれ、とてもいい自家製卵を供給し続けてくれました。


死に際は、1匹目はうずくまったままの自然死で、2匹目は引きつけのような症状を起こしてその後死にました。


2匹目のときは朝からとても苦しそうで、引きつけを起こすたびに胃液のようなものを吐きました。


辛そうなので、鎮痛剤をお湯に溶かし、注射器で上げようと思い、作って持って行ったら、もう死んでいました。


ニワトリの死はとても潔いです。


人間のように、老衰してから誰彼呼びつけて世話をさせたり、悪態を突いたり、そんなしちめんどくさいことにはなりません。


死んだ後も、庭に穴を掘って埋めるだけです。


親戚知人一同をバカデカいお堂に集め、ありがたいお経を唱えて神妙な気持ちにさせ、故人の生前を厳粛なものに仕立て上げる、そんな手続きも必要ありません。


ニワトリのように逝きたい、と思いました。

みや古食堂

246バイパスを通っていて、普段から気になっていた食堂に初めて入ってみました。



一見して運転手さんの食堂だというのがわかります。口コミでもその量がハンパじゃないということです。


祝日というのがいい方向に作用したのかわかりませんが、店内は普通の混み具合でした。


メニューを見て、わさび丼をまだ食べたことがないので、この機会に食べてみようと思い、注文します。ただこの店の売りはドカ盛りの豚の鉄板焼き定食なので、すこし大人しめになってしまうのは否めません。



そしてわさび丼が運ばれて来ました。わさびを自分で摺りおろして丼にかけるというもので、ツンとしたわさびがかつお節ご飯によく合います。ただほかにおかずがなく、物足りない感じもしました。やはり男は黙って豚の鉄板焼きだなと思いました。今度は定番を頼んでみようと思います。


ただこんな定食屋でわさび丼を食べれたのは収穫でした。