会社生活を駆け抜け(た)日々

山に釣りに、リタイヤ後の人生を謳歌する日々です

身を持って実感したこと

こんにちは、curiosです。


私は眼がいいです。眼がいいというよりも視野が広いというべきか、とにかく何かを見つけたり、探し物をしたりするのが得意です。だから眼だけは大事にしようと思っていました。


私の職場は以前にもお話しした通り、過酷な業務が日常となっている職場です。今日は大きい機械(ショベルのようなもの)に乗って、落ち葉を片付ける、という仕事をやっていました。


林のなかでの作業で、大きい重機を操るのは気を使います。木々にぶつからないよう、慎重にショベルを操ります。


やって来た2tダンプに落ち葉を積み、そして満杯にしたら次のダンプに積むという作業です。


すると、ショベルの運転席の屋根に、小さい枝が引っ掛かりました。そのままバックし、枝がそこからピンッ、と外れ、それは、私の瞼に当たりました。よくある枝が跳ねる、というやつです。


私は思わず眼を押さえました。結構な衝撃だったし、痛みで眼が開けてられなかったからです。


そして病院に行かせて貰う、と所属長に伝え、眼科に行きました。幸い、眼球に傷は付いたものの、大事には至らず、無事に戻ってくることが出来ました。


ですが仕事が終わって、皆が集まった時に、一人が私の顔を見て、『何処を打ったんですかぁ~?』と、まるでからかうような口調で言って来ました。その顔は、半分笑いながら、どこも悪くないじゃないですか、とでも言いたいようでした。「いや、眼球に傷が付いて、大事には至らなかったんでよかったんだけど」、と説明したものの、どうやら何もないのに怪我のフリをしたという風に決め付けたいようでした。他の仲間も特に何も言わず、だんまりを決め込んでいました。


これだ、と私は思いました。これがこのクズ共の集まりという揺るぎない証拠だ。所属長も助けるような素振りは見せず、ヘタすればこちらを悪者にしようという雰囲気です。


ですが私はもう(意思表示はしてないものの)ここを去ると決めた人間です。それ以上弁解はせず、『まあよかったです』と話を切り上げました。その実、こいつらとは死んでもつるまないぞ、と再度心に誓いました。


それと、自分の選択にも再度自信を持ちました。眼というのは本当に大事です。再就職時にも、眼の良さは様々な選択肢を産んでくれます。私は大型二種免許を所持しているのですが、運転手というのは、いつの時代も、最低限の需要があります。その為に、眼を大事にしておくこと。自分の今日取った行動はなにひとつ間違ってはいない、と確信を持ちました。


反面教師と言えば聞こえはいいが、本当に『クズ』しかいないこの組織。今回の一件でも、身を持って実感してしまいました。

自分の選択は間違っていない。自信を持て。

こんにちは、curiosです。


いまの職場に不満を持っていて、いざ他の職場に移るという選択をしたとき、ふと不安に見舞われることがあります。


何故だかはわからないが、いまの職場がそんなに悪くないんじゃないか、という思いと、また新しい職場でゼロからのスタートになる、といった不安要因が、人をそんな気持ちにさせるのではないでしょうか。


会社なんてどこへ行っても同じさ、という台詞を聞いたこともあります。その方はもう定年を迎えていて、私のなかなか定まらない会社員生活を揶揄するような口調でそんなことを言いました。付け加えるように、『何処へ行ってもダメな奴は、ダメ』とも言いました。恐らく私のことを言いたかったのでしょう。


ですが社会に対する耐性、のようなものには個人差があります。その方にとってはなんてことのない出来事が、自分にとっては致命傷となる場合もある。極論ですが、SNSで非難されただけで死んでしまう人がいるのです。死んでしまったら、元も子もありません。


だからそこでの忍耐が限界に近くなったら、構いません、逃げてしまいましょう。


私は、『生きてるだけで丸儲け』という言葉には素直に賛同出来ませんが、『逃げるが勝ち』という言葉には賛同します。本当に、鬱になって死を選ぶ選択よりは、その会社を去るという選択の方が正しい


これも過去のエピソードですが、親戚の叔父が、なにかの集まりの時に、『何時までフラフラやってるんだ』といったような意味の嫌味を言って来たことがあります。心配してる、と言えば聞こえはいいですが、その人の心情や、苦しさということにはまったく考慮していない、無神経な発言でした。


お前なんかに何がわかる?と思いました。そしてその叔父とはその後怒鳴り合いの大喧嘩をして訣別しました。それまでも不愉快な言葉を散々投げかけて来た人間です。後悔はまったくありませんでした。


世の中はこういった人間で溢れています。若い頃はそういった類の言葉に惑わされることはありましたが、いまでは全くありません。自分の考えに自信を持ったからです。


自分の選択は正しい。自信を持て』如何なる場合でも、そう思って生き抜いていきましょう。

もう体が動かず、限界と思う(退職)

こんにちは、curiosです。


毎日ガンガンにこき使われ、若い頃には少々のことではビクともしなかった身体にも、あちこちガタが出て来ました。


元々渓流釣りをやっていたこともあり、足腰には自信があったのですが、足の踏ん張りが効かなくなってきました。


職場は肉体労働で、一日歩き詰め、なんてこともあります。そんなに人をこき使って、何が楽しいんだろう?と管理者を問い詰めたいときもあります。


また人使いが荒いため、人が年々減って行きます。ここ3年でも、3人減りました。皆最後は後味の悪い去り方をして行きます(まあもちろん、定年退職以外は後味は悪いですが)。


新しい人を募集しても、その圧倒的な待遇の悪さになかなか入って来ず、また入ってもなかなか居着きません。仕事が過酷だからです。


つまり私の会社は見事にデフレスパイラルを、職場で実践してることになります。人が入ってこない→仕事がきつくなる→耐えられず、他に職を探す→また人がいなくなる→人が減ったとしても給料は上がらない→残った人たちで現在の仕事と同じ量の仕事をしなければならなくなる→益々いがみ合う→給料は上がらない、です。


これが現代日本の、恐らく底辺と言われる会社組織の、まさに実態だと思います。どんどん自分たちで自分たちの首を絞めてゆき、足を引っ張り合う、そして耐えられない人間が脱落して行く。もう私も脱落を(自ら)覚悟しているのですが。


ですが辞める人間は、恐らく会社に問題提起したり、現状を語り合ったりするべきではないと思っています。そんなことをしたって変わるわけはないですし、私はもう日本型の経営形態は、『オワコン』だと思っています。自由な討論や、ディスカッションを許さない空気があります。


本当に、身体の自由が利かなくなる前に、退職出来れば、思っているのはただそれだけです。