会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

魚と遊んだ日、魚と友達になれるか?

こんにちは。


私が釣りを始めたのは、社会のストレスからすこしでも逃れたい、という思いからでした。


会社で溜め込んだストレスを、言い方は悪いですが、川や湖で吐き出すことが出来、大分救われたと思います。


いままで散々釣って来た魚には、感謝のひと言しかありません。ブラックバス、ニジマス、ヤマメ、イワナ。どれも魚食性の魚であり、果敢にルアーを追う魚です。こちらがアクションを付けたルアーに怯むことなく勇猛果敢に飛び付いて来てくれました。そのさまは見ていてシビれるものでした。


ルアーやフライなどの疑似餌と呼ばれる釣り方は、一般的にキャッチ&リリースが原則とされています。針に掛かった魚を出来るだけダメージを与えないよう外し、生きたまま逃すやり方です。


それがあたかも魚に優しいなどと勘違いしている一部アングラーもいます。エサ釣り師は大抵持ち帰って食べるものを、我々は食べるなんてことはせず、生かしたまま逃してあげている、野蛮なエサ師に較べてなんとジェントルなやり口だろう、そんな思い違いをしています。


ですが針に掛かった魚がそのまま生き延びられる確率は、実は半分以下、という説もあります。


魚は針に掛かるとそこから逃れようと格闘し、大量の乳酸を出します。そして釣り上げられ、空気に晒されます。魚体を守る重要なヌメリは釣り人の手やタモによって剥がされ、また呼吸も不自由になります。


この状態から、どれだけの魚が元通りのコンディションに戻るのかは疑問です。恐らく、釣り人の思っている以上に一度釣り上げられた魚は死んでしまっていると思います。


それならなんでアンタは釣りをやっているんだ?と問われる方も居られると思います。魚が好きならそんな目に合せないのが一番だろう?その問い掛けはごもっともです。


それは、この人の世が限りなく地獄に近いからです。皆な食ったり食われたりの無法地帯に放り出され、魚と同じように口に針を掛けられ、いたぶられます。そのさまを面白おかしく観察する輩までいますね。


だから魚には申し訳ないのですが、所詮世の中なんてこんなものなんだよ、キミたちとさして違いは無いのさ、だから許してね、という思いで釣りをしているのです。大袈裟かもしれませんが、本当にそう思っているんですよ。


昔ある釣り具屋のCMで、『魚と遊んだ日、魚と友達になった』、などというコピーがありましたが、魚を生きるか死ぬかの目に遭わせておいて、『魚と友達になった』なんて手前勝手過ぎますよね。そんな見当外れな思い込みはいますぐやめるべきです。


『この世の生き辛さが酷いので、せめてもの慰めとして魚を釣らせて頂きます、死んだ魚には申し訳無いですが、いつか自分も死ぬので許して下さい』


いつもこんなことを思って釣りをしています。

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