会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

古き良き時代の道具

こんにちは。


昨日は釣り名人の方と山梨に遠征していたので投稿出来ませんでした。


釣りの方はその方は15匹で私は0匹(^^;


ですがとても勉強になりました。


雨のなか、色々試行錯誤していたので、帰ってから疲れがどっと出て泥のように眠り、そして今日の朝になっていました。


私はいままでほぼルアー釣りでしたが、これから歳も取って来るのでじっくりエサ釣りもしてみようと思い、色々学んでいるところです。


釣りの話しは興味の無い人もいるかも知れませんが、今日はそんな感じで行きたいと思います。


さて、年々高額化してくる釣り具全般ですが、とくにルアー釣りのタックルの高騰は凄まじいです。


ロッド(サオ)、リール合わせて5万円なんて、いまでは中の下ぐらいの雰囲気です。両方合わせて10万、ヘタをしたらリール単体で10万という恐るべき選択肢もあるほどです。まあ勿論これはそのメーカーの最上級機種の話しですが、それでもこのぐらいのものを出すということは、買う人がいるということでしょう。


まあ勿論ボッタくっているというわけではなく、ちゃんと性能を突き詰めた結果として出しているわけなんですが、それが果たしてどの程度実際の使用に寄与しているのかというのは甚だ疑問です。


ですがそれを有難がって買うユーザーというのが一定数いる。そしてメーカーは新しいタックルの優位性をCGを使ったカッコいい動画にして、更に購買意欲を煽る、そしていつの間にか、廉価なタックルを使うユーザーが、なんとなく負い目を感じる空間が出来上がってしまう、という構図です。


この構図、なんとなくですが、実際の社会のなかにもあると思いませんか?イイものではなく、最新のテクノロジーを謳った新製品を、盛んに売りたがるメーカー、そしてそれにいつの間にか感化されてしまう消費者。とにかく最新ということに目を奪われ、実際にそれがどの程度のメリットがあるのかということを深く考えなくなってしまう。


この流れから抜け出すためには、古き良き時代のものに目を向けることです。



最新のリール、最新のロッド、そのようなものを血眼になって追い求めるより、道具として必要充分な、そして愛着を感じさせる名機、それさえ手元にあれば、無駄なテクノロジーの洗礼を受けずとも充分、ということに気付くことが出来る筈です。これらのタックルの存在意義は、ノスタルジーというものもありますが、テクノロジーへの反発という面もあると思います。たかだか釣りという趣味にそこまでやるか?ということです。


このリールは2004年に買ったものですが、未だにお気に入りで手元に置いてあります。これで休日に一匹の魚と戯れることが出来れば、それで充分、と思わせてくれるような存在です。

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