単独行動しか出来ない人間の末路
昨日は朝は登山、午後からソロキャンプと、自分の好きなことを詰め込みました。
ソロキャンプはなにより人と関わらなくていいというのが最高です。
そして登山についても、基本的には単独行動を好みます。
怪我や万が一のことを考えると、誰か仲間と一緒に行く方が無難なのですが、そういった場合の気遣いというのが、自分的にはすこし苦痛なのです。
例えば、すこし歩いて休憩、というタイミングにぶつかったとします。
そのタイミングというのが、人によってまちまちで、ある人はもっと歩いてからの方がいいということもあるし、ある人は明確なポイント(道標)に着いてからじゃないと嫌だ、ということもあるでしょう。
私は自分が疲れたと思ったら休みたい人間なので、そういった場面での葛藤みたいなものに縛られるのが嫌いなのです。
もちろん、大多数の人はそういった場面で、周りの人に合わせるという選択を取るでしょうが、それでもなんとなく、その人の雰囲気から、意に沿わないというオーラが感じられることがあり、それなら、独りで行った方がいいじゃないか、という結論に至ったわけです。
このような性向は、やはりいままで歩んで来た道のりから生まれたものだと思います。会社などで人間関係に悩み、早くこんな牢獄からは逃げ出したい、と常々思っていたので、その蓄積がこういった単独で行動することを好む性向に変わってしまったと思われます。
ただ、登山してみて思うのは、登山する人は大方そうなんじゃないか、ということです。
楽しそうにワイワイ喋りながらグループで登山をしている人たちもいますが、圧倒的に多いのは独りで黙々と山を登る人たちです。
そういう人たちはきっと、山や自分自身と対話をしながら登っているのだと思います。そし世間の雑音を遮断し、自然に抱かれることで、失われそうになっているアイデンティティーを取り戻すのでしょう。
山やアウトドアという趣味は、本来パリピのためにではなく、そういった心に葛藤を抱えた人たちのためにあるのだと思います。