話しを弾ませないといけないという呪い
まだテレビが人気があった頃、情報番組などで、アナウンサーやパーソナリティが一体になって、まるで無二の親友のように語らうシーンがありました。
バラエティなんかでも、皆が他人のこぼれ話に、手を叩いて笑い、可笑しくてたまらない、といった感じでリアクションしているのをよく見掛けます。まるでその人と固い絆で結ばれているかのようです。
当時の私は、付き合い下手だったこともあり、そういう姿を見て、こんなに和気藹々と喋れるなんて、凄いなぁ、自分には絶対ムリだ、と落ち込んだものでした。
時代は既に崩壊の兆しが見えていましたが、まだまだ放送業界は元気で、いろんなバラエティ番組が沢山ありました。女子アナがヘタなアイドルを凌駕するほどの人気で、その女子アナがいろんなところへ行って体験する、といった番組もありました。例によって行った先でも和気藹々でした。
ですがその姿は、果たしてどこまで本当なのか?
時代が完全に凋落して来て、楽しく和気藹々、といった感じで話を弾ませるという風潮に、みんな付いて行けなくなって来ていると実感します。
そしてそれは、嘘だということにも薄々勘付いています。
大体、生き馬の目を抜くといわれるような過酷な業界で、そんなやり取りなんてそもそもが成立不可能なのは当然のことです。
それなのに、みんなその場では和気藹々と語り、話を弾ませます。
そしてその呪いに、当時の私は苦しめられました。
人と話しを弾ませられないというのは、自分は人間として不完全ということじゃないか。
そんな思いから、しゃかりきになって話しを弾ませようと努力しようとしたこともありました。
ですがそれはテレビの仕組んだ罠だということに次第に気付き始めました。
いまテレビは凋落し、衰退しています。
ユーチューブなんかで、テレビとは無縁の人たちが、表向きの顔を作らず、ありのままの素顔を晒しています。
そういうのを見ると、心の底から癒されます。
そしてあのような空間が、嘘と虚飾に満ちたものである、ということも、それによって実証されたと感じます。
まだそのような呪いに掛かっている人たちはいるのでしょうか?