会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

命というのはそんなに重くない

こんにちは。


私は動物が好きで、外にいるときなど色々な生き物を観察しています。


動物を見ていて感じるのは、彼らは食ったり食われたりが日常茶飯事なんだな、ということです。


また昆虫の丈夫さにも敬意を抱いています。足の1本や2本失ったって、平気で生きています。


それに引き替え、人間というのはなんて華奢になってしまったことでしょう。


自分たちがそうしたとはいえ、人間の自らを大事にする姿勢はいささか過剰過ぎるほどです。ちょっと暑ければ暑いと空調を入れ、寒ければ暖房を入れます。


また草や木でちょっと指を切ったりしただけで大騒ぎです。絆創膏だの、マキロンだの、うるさくてやってられません。


外にいる動物を見ていると、そういう人間の過剰過ぎる自己憐憫さに疑問が沸いて来ます。なんで人間はここまで大げさなんだろう?


よく一つの命は重い、なんていいますが、あれはウソです。外にいる生き物を見れば、それはわかります。


カエルなんて、食われるために生きている存在、といっていいかも知れません。蛇や、鳥や、小動物のいいタンパク源です。またエビもそうですね。彼らは魚類の圧倒的な捕食対象です。


そういう生き物は、食われるためだけの生を、疑問に感じたりしないのか?


まあ動物にそういった観念は無いのでそれは愚問ですが、じつは死ぬということはそんなに苦痛じゃないんだろうな、ということは以前より勘付いていました。


人間も死ぬときには苦痛を和らげるためのドーパミンが大量に分泌されるといいます。ただし一度切りなので試すということは出来ません。


ただ、自然界に存在する生き物を見ていると、死ぬということはそれほど過酷じゃないんだな、とは思えます。食われたりすることも、人間が思っているほどには苦痛じゃないんだろうな、ということも。


大体、人間はその過程を自分の手を汚さずにやり過ごしています。だからそういうことに対する認識がなくなりつつあるんじゃないか、と思います。


本当は命なんてもっと軽く、流れ行くような存在なのです。

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