会社生活を駆け抜け(た)日々

山に釣りに、リタイヤ後の人生を謳歌する日々です

日本人は『働くのが好き』説

こんにちは。


さて、私はいままで様々な形で、この日本という国が奴隷制に支配されていると記事にして来ました。


その奴隷制というのは、強制されたものではなく、国民が進んで奴隷になっている面もあり、なかなか手強いシステムだということも書きました。


そうしてしばらくこの問題を遠くから眺めていて、新たな見解も生まれました。


それは単純にいって、日本人は働くのが『好きだ』ということです。


これは特に目新しい見解ではありません。日本人は勤勉で働き者、という定説を辿って行けば、日本人は働くのが好き、という結論も、特に違和感はないと思います。そしてそれだけに限っていえば、とても優れた資質だと思います。日本が戦後奇蹟ともいえる復興を遂げたのも、この資質によるものが大きいでしょう。その恩恵を少なからず受けている人なら、このことを問題視することもないと思います。


ですが、私は問題視したいのです。何故なら私がサラリーマン時代に苦難を味わった経験の裏には、働くのが好きだ、という人たちの影響があった、と思うからです。


人の欲望というのには必ず理由があります。なにかを食べたい、という欲望には、空腹だから、という理由があるし、異性と付き合いたい、という欲望には、種としての存続、という理由があります。


働きたい、という欲望には、果たしてなにがあるのでしょうか?一番はお金を稼いでいい暮らしをしたいというものだと思います。ですがすべての人が、それを望んでいるというわけではありません。ほどほどの暮らしでいい、という人もいるでしょうし、或いは食っていけさえすれば、あとはのんびり暮らしたい、という人もいるでしょう。


そして恥ずかしながら、私は一番最後のタイプの人間です。必要以上の資産を築くため、身を粉にして働く、なんて真っ平ご免でした。


ですが当時の日本では、その姿勢というのはタブーとされた。それは経済成長からバブルに入るもっとも上り調子の頃だったからということもあったでしょう。会社に入って、のほほんとしていると、あいつは弛んでいる、と真っ先に批判された。学生気分を早く卒業しろ、なんてこともいわれました。学生気分?なんですかそれ?なんて聞き返すことも許されない雰囲気でした。


そして一度そういうレッテルを貼られると、剥がすのは困難になりました。一年経って初めての査定はCとなり、ボーナスも他の人より減らされたと思います。自分的にはなにが悪かったのかがわからないので治し様がないのですが。


そしてなにが悪かったのかわからない、というのが、恐らくは自分が働くことが好きではないことの証しであった、ということです。自分はそもそも会社員にさえなるべきではなかった。


自分はどちらかというと、牧歌的に暮らして行きたかったのです。何処かの草原で、口笛を吹きながら、雲が流れていくのを一日眺めている、といった感じの。


もちろんそんな人間にはまともな仕事なんてこなせないでしょう。こうなってしまったのも自業自得といえなくもありません。ですがそういう人間にも、それなりの居場所があってもよかったのでは?とも思います。ここまで追い込まれ、自我を否定され、敗残者のように追いやられる必要は無かったのでは?、と思うのです。


仕事が好きだ、というその資質は得難いものだ、とは思うのですが、周りがすべてそのような人種だ、という思い込みによって成り立つ社会というのも恐ろしいものがあります。


そしてそのような社会によって抹殺された人間(私)は、少なからずその社会に復讐を誓うことになるのです。

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