資本主義社会の終焉
現在の資本主義社会は、持つ者と持たざる者の差が、はっきりと分かれて来た感じがします。
持つ者とは、社会的基盤がしっかりあり、財産が富裕層レベルに達し、その財産を投資に回すなどして、ますますその地位を盤石に固めて行っている人たちです。
持たざる者とは、元々の社会的基盤がぜい弱で、働くことによってしか生活を成り立たせることが出来ない人たちです。
そのようなことを感じさせるエピソードが先日ありました。
地元の金融機関に行ったら、地元の名のある運送会社の親族が、悠然と待合室に鎮座ましましていました。
私はちょっとした顔見知りなので、顔を合わせればいろいろと詮索されそうな感じでしたので、そそくさとその場を後にしました。
その人の佇まいを見ていると、生活に対していささかの不安もなく、自身の盤石な地位に酔いしれている、といった感じでした。
私はほかにも、そのような盤石な地位を獲得している人たちを知っています。
彼らは、ことによると神しか到達し得ない全能感のようなものに支配されているといった感じでした。
そしてこれが現在の資本主義社会の、いわば最終的な到達点なのかも知れない、と思いました。
資本主義は現在、その象徴ともいえるアメリカ、及びトランプの支離滅裂な言動にによって、終焉の様相を呈しています。
物質至上主義によって塗り固められた嘘、環境に対するインパクトなどが、ますます鮮明となって来ました。
現在中東の情勢によって、いろいろな製品が入手困難になるなどの噂がまん延していますが、これも資本主義の過剰な物質消費故の問題に過ぎません。
これを機に、資本主義からの脱却と、新たなるライフスタイルの構築を目指すべきだと思うのですが。
そしてその新しいライフスタイルの構築は、日本がもしかしたら重要な役割を果たすことになるやも知れません。
宮沢賢治の、雨ニモ負ケズや、注文の多い料理店の序などには、世界が眼を向けるべき素晴らしい思想が詰まっています。