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終戦の日の8月15日に、こんなコラムが書かれていました。



まず題名を、『終戦記念日8月15日は~』としているところに大きな瑕疵があります。いまは終戦の日とされています。記念日とはいえないのでせめて終戦にして置こうという意図があったということです。この小林味愛さんという人は、政治関係のお仕事もされていたとのことで、こういった言葉遣いには慎重になるべきだと思います。


小林味愛さんの祖父は、広島で学徒出陣され、それで原爆の被害を免れたものの、悲惨な経験から戦争の話しはあまりしてくれなかったということです。


その祖父のもとへ、大学生になった小林さんは話しを聞くために通ったそうです。


そしていろんな話しを聞いているうちに、政治関係に関心を持ち、政治家とともに働く国会職員(国家公務員)の道に進み、戦争についての勉強会にも参加されたそうです。


そのなかで、


『子どもの頃の第2次世界大戦の経験を、テレビで見たこともない表情で語る今は亡き大物政治家の、「戦争を知らない政治家が日本の中核になる時代が怖い」という言葉が今でも忘れられません。』


戦争を知らない政治家が日本の中核になるということは、決して悪いことではないと思います。戦後80年ちかくにもなれば、戦争を知らない政治家が出てくるのは当然のことですよね。それを怖いという方もいう方ですし、忘れられないという小林さんの心境もどういうものか測りかねます。


そして話しは現在の社会情勢に移って行きます。


『今でも世界では、戦争や紛争に苦しんでいる人がたくさんいます。一方、私たち日本人にとって、戦争は遠い過去の記憶になってしまっていると思います。たとえ「戦争」ではなくても、私たちの身近にも不本意な意思決定や、声をあげたくてもグッとこらえて空気を読むようなことは誰しもあるのではないでしょうか。』


・・・いまでも戦争や紛争で苦しんでいる人がいるというのはわかります。ですが、日本人にとって、遠い記憶になってしまっているという嘆きのあと、たとえ「戦争」でなくても、不本意な意思決定や、グッとこらえて空気を読むようなことは誰しもあるのではないでしょうか、のあたり、なにを主張したいのかサッパリわかりません。日本人が平和ボケしていると嘆きたいのなら、戦争や紛争で苦しんでいる国や地域の方々に、もっと目を向けるべきではないでしょうか?といった方向に向けないと辻褄があいません。


そして日常で、思うようなことを言えず、力のある者に流されてしまいがちな風潮を挙げ、


『何事においても、マジョリティーとマイノリティーに分かれる以上、マイノリティーの意見は仮に形式的に聞いてもらえたとしても、意思決定にほぼ反映されず、のみ込むしかないもどかしさもあるでしょう。


私も女性として、社会の中で空気を読み、グッとこらえることにいつの間にか慣れてしまったこともあります。』


これは戦争という最初のテーマから離れ、マイノリティとマジョリティ、即ちジェンダーフリー、LGBTの問題に足を踏み入れています。戦争のときは、そんなことに構っていられないはずです。


そして、最後に、


『でも、8月15日。


この日だけはせめて、自分の感覚や社会への違和感に蓋をせず、自分たちの幸せな暮らしは自分たちでつくる、そんな思いで毎年、気持ちを整理しています。今日も明日もその先も、毎日が笑顔でいられるように、自信を持って幸せだと言えるように。大事な人を守れるように。』


なんでこの日だけはせめて、なのでしょうか?いつだってこういう問題意識を持つことは大切ですし、8月15日にだけ考えるべきことではないはずです。そして結末の、毎日が笑顔でいられるように、から続くセリフは、あきらかに置きに行ってる感じがします。文章のまとまりがつかなくなって、心地よいセリフで強引に締め括ってみました、という感が透けて見えます。


・・・なんでこんなまとまりのないコラムを、本人も編集者もなんのためらいもなく載せたのでしょうか?

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