会社生活を駆け抜けた日々

山登りと読書の日々

わかったような口を聞く人たち

curios

私は子供の頃から、同級生がさもないことではしゃぐのを下らないと思って見ていました。


学校にアマチュアの劇団が演劇をしに来るのですが、多くの同級生は団員の一挙手一投足に手を叩いて大笑いです。私的には、もうちょっとひねりがないと笑えない、と思っていても、周りはドッカンドッカンと気持ちのいいぐらいのノリでした。


また社会に出るということに関しても、どうせロクなことがないだろうみたいな気持ちでいたので、案の定そうなりました。恐らく私のような斜に構えている人間は、社会の歯車的な連中から目に付いてしょうがないんだと思います。散々な目に遭って来ました。


若い頃から本は好きだったせいで、社会の裏側を暴いたり、この世のなかの成り立ちみたいなものを探ったりするような本はよく読んでいました。また人間が存在する理由というのも興味がありました。多くの文学者は、そのことに悩み、傷付き、多くの作品を輩出しています。


社会に出たら出たで、学生気分が抜けていない、お前には甘えがある、などとよく言われました。要は奴隷になり切れていない、というだけのことだろう?と思っていました。都合のいい奴隷が必要なだけで、幾ばくかの賃金と引き替えにお前らはそれを盲目的に引き受けているだけじゃないか。


とくにこの、『甘えがある』というのはよく言われましたね。『わかったような口を聞く人たち』に、なお更よく言われました。


『社会に出ればわかる』、『大人になればわかる』などというワードは、世のなかの仕組みの複雑さを説明する語彙力がなく、それでも自分の矮小さには目を瞑って尊大なフリをしてたいという人たちの、最後の砦なわけです。

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