人間存在の哀しさ
今日、検針の仕事をしていたら、以前に会社で一緒だったおじさんに会いました。
その人はチラシ配りのバイトをしていて、暑いなかヘトヘトになって配っているような感じでした。
私ともすれ違いましたが、ヘルメットをしてサングラスを掛けていたので気付かれることもなく、私もそのままそっとして置きました。
その人は以前の会社でパートで働いていて、私と時々会話を交わすことがあり、世間話なども普通にしていました。
ですがちょっと性格的に瑕疵があり、いきなりキレてしまうことがあったので、よく人と揉めていました(私とも揉めました)。
そしてそこを離れて、巡り巡っていまはチラシ配りのアルバイトをしているようです。
年齢的には70後半ぐらいだと思います。この暑さのなか、軽自動車に乗って狭い路地を行き来しています。朦朧として事故でも起こさないかと心配になるぐらいです。
私はその路地を歩いて行ったのですが、そのおじさんは路地の向こうから軽自動車で戻って来る様子でした。
そしてすれ違うときにこちらを一瞥し、
「こんなとこバイクで乗って来ればいいじゃんか」、
と吐き捨てるようにいいました。私はなにもいわずそのまま作業に没頭しているフリをしました。
バイクで乗って来ようが歩いて来ようがこちらの勝手で、それを指図される筋合いはありません。その人のやり方というものがあるからです。
ああ、やっぱりこれなんだな、と思いました。その人の意向みたいなものを考慮せず、差し出がましい口を聞いてしまう。口調のなかに微かに人を侮蔑するようなニュアンスも感じます。
こんなんだから、ヨレヨレになってもチラシ配りみたいな仕事をしなければならないんだろう、自業自得というヤツだ、と思いました。
しかし私はそのおじさんを嘲笑うためにこの話をしたわけではありません。
私だって経済状態はおじさんより上かも知れませんが、立場的には似たようなものだからです。
私はそのおじさんに、人間存在の哀しさ、やるせなさを感じました。
ちょっとした癖の有る無しで、まともに生きれるか生きれないか、その進み行きが変わってしまう、人間社会というものの残酷さ。
その社会の法則性を掴んだ者はきっちりと足跡を残し、それを掴めなかった者は落伍者のように底辺を彷徨い続けます。自分でもこんなはずじゃなかったのに、おかしいな、と小首をかしげながら。
そしてそれは私にも通用する法則性なのです。