”DIE WITH ZERO”の実践・2
私の知り合いや、親類縁者には、経済的には我が家よりも全然不自由なく暮らしている家があります。
ですが、その家や家人が発するオーラからは、全然そのような余裕が感じられない、ということがあります。
経済的には盤石で、なにひとつ問題はなく、預金通帳には目も眩むような金額が積み上がり、それを眺めているだけでも笑みがこぼれて来てしまうはずなのに、それらが家全体の幸福感に繋がっていないのです。
その家からはなんとなく荒涼とした雰囲気が漂い、立派な建屋やカーポートが、その虚しさをより一層引き立たせてしまっている感じがします。
結局、その家や家人は、お金の使い方がわからないのだろうと思います。
お金の使い方というのはわかっているようでも案外難しいものです。
家を建てたり、クルマを買ったり、海外旅行に行ったりと、通り一遍のことは出来るのですが、そのあとは元の木阿弥といったケースが多く見られます。
それはその人が、お金を貯めるということに全振りしてしまい、いざそのお金を使う段になったら、右も左もわからない『借りて来た猫』状態になってしまうからだと思います。
そしてそういう人はプライドだけは高く、人より(私より)優れているという意識から、マウントを取って来ることだけは忘れません。
こうして、経済的には豊かでも、その恩恵をまったく享受出来ていないという、典型的なパターンが出来上がります。
このパターンが、いまの日本人の半分以上を占めていると私は実感しています。
そして彼らはそのフラストレーションを、他者との比較、自慢合戦に向けようとします。
こんな精神構造の人では、到底『DIE WITH ZERO』なんて、実践することは出来ないでしょう。
私が、社会人としては不完全ながらも、自らの考え方に自信を持っているというのは、前の記事で述べた『王侯貴族』のような感覚を、理解出来ているからということに他なりません。
そこでは他人とのマウントの取り合いではなく、自らの豊穣な時間というものに身を委ねられるかどうか、ということが鍵となります。
そこではどちらが格上か、といったようなバカげた諍いは存在しませんし、他人にそのイライラをぶつけるということもありません。
”DIE WITH ZERO”を実践するには典型的な日本人が陥っている階級志向から、自由であることこそが大事と思われます。