病院の待合室にて
今日は病院の診察の日だったので、待合室でずっと本を読んでいました。
『罪と罰』の、上巻を読み終えました。
『罪と罰』に関しては、大分前に上巻をもうすこしで読み終えそうだという記事を書きましたが、残り70ページぐらいで頓挫していました。
ドストエフスキーの小説にはそういったところがあり、進まなくなるとテコでも動かなくなる、といった傾向があります。
シーンとしては、主人公ラスコーリニコフのところに、故郷から母と妹が訪ねて来るあたりで、その延々と続く痴話ゲンカのようなやり取りに、足踏みのような停滞感を感じました。
聞くところによると、ドストエフスキーは、同時代の作家、トルストイに異常な対抗心を燃やし、自分の待遇に不満を抱いていたということです。
トルストイは広大な領地を持つ貴族出身で、当時『戦争と平和』などのヒット作を飛ばすなど、飛ぶ鳥を落とす勢い、稿料もドストエフスキーよりも圧倒的に高く、嫉妬心を抱かせる存在でした。
そのためドストエフスキーは、稿料の安さを枚数で稼ぐため、とにかく多作に励んだということです。
そのおかげか、ときどき読んでいて、堂々巡りのようにまどろっこしく感じる描写があったりするなどの弊害が生じるのかも知れません。
幸い、今回は1時間近く待ち時間があったので、上巻を読み終えることが出来ました。
読み終えて目を上げると、周りに座っている人の大半は、スマホを操作していました。
その画面を見ていると、SNS巡りに余念がない様子でした。
いい大人が、LINEなどで絵文字操作しているのを見ると、ちょっと悲しいものがあります。
別に自分が本を読んでいるからといって偉ぶってるわけではありません。
ただ、間違いなく日本の文化レベルは落ちているということです。
私とおなじぐらいの世代なら、もう残された時間はそれほどないはずです。
そんな世代が、絵文字を使ってさもないメッセージを送り合っているのかと思うと、暗然とした気持ちにさせられます。
たとえ意味はわからなくとも、難解な本をガシガシと読んで、その難解さに痺れ、恐れおののくというのが大人の在り方ではなかったでしょうか?
ドストエフスキーなどの大作の作家は、私にそういうことを忘れさせないための防潮堤の役割を果たしているのだと思います。