お酒が完全なる悪に変わりつつある
最近、少量の飲酒でも、健康によくないという記事を目にするようになりました。
私が現役の頃には、『酒は百薬の長』などと呼ばれ、適度な飲酒はむしろ健康にいい、とさえいわれていました。
会社員時代は、いろいろ飲む機会を持たされました。歓送迎会、忘新年会、ただの飲み会。終盤になると、それらの付き合いが、半ば義務化し、楽しくもなんともなかった記憶があります。
そんな飲みの席からは、セミリタイヤすることによって解放されました。また会社員時代はストレス解消のはけ口として、ほぼ毎晩晩酌をしていました。揚げ物をつまみに、缶チューハイを2缶。それが日々の楽しみだった気がします。
そんな飲酒ですが、ここ最近の研究によって、完全なる『悪』という方へ見方が変わって来たということです。
ですが人類とお酒の付き合いは長く、その文化レベルにおいて、お酒は切っても切り離せないぐらいの関係にあると思います。
それは各国が、その国独自のお酒文化を育て上げて来たということからもわかると思います。日本なら日本酒、イギリスならウイスキー、イタリア、フランスならワイン、ドイツならビール、ロシアならウォッカ、中南米ならテキーラ、という具合です。
それらのお酒は、長い歴史によって育まれ、洗練されて来ました。そして今日なお、各酒蔵やディスティラリーが、更なる向上を目指して日々研究しています。
そんな長い歴史の上に立つお酒が、いまさら身体に悪いからといって、完全なる『悪』というレッテルを貼り付けられるというのも、なんか違うという気がするのです。これだけ人類と歩みを共にして来たお酒が、ただの害にしかならないという結論で、片付けられてしまっていいのか?という違和感があります。
セミリタイヤしてから、飲酒の回数はだいたい半減しました。だからお酒が身体に悪いから、断酒しなさいといわれれば、それに従うことも出来ると思います。
ですがやはりお酒を飲むことによって得られる解放感も、それなりの価値があると思うので、まだまだ回復能力がなんとかなるうちは、適度な飲酒という言葉を念頭に、付き合っていきたいと思います。