会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

蜘蛛の糸

こんにちは。


私は以前からどちらかといえば締り屋で、セミリタイヤという生き方を目指すのは宿命だったと思います。


子供の頃の家が借家で見栄えが悪く、子供心にいつもコンプレックスを抱いていました。近くの大きな屋敷に住んでいる人のことをいつも羨ましく思っていました。


立派な邸宅があり、キチンとした車庫にはクラウンやセドリックが鎮座している。お風呂にはきっとシャワーもあるだろう(私の家には湯船しかなく、いつも風呂桶で汲んで身体を洗っていました)。なんだか絵に描いたような光景です。


でもそのおかげで浮付いた考え方はしないようになったとも思います。決して世の中に美味い話はないんだということを、細胞レベルで実感することが出来たと思います。


そして景気が落ち込み始めて、世の中からどんどん明るさが消えて行くのにつれ、いままで我が世の春を満喫していた人々の活気も無くなって行きました。そして怪しげな広告や商法が世間を賑わせるようになると、それにつられてお金を騙し取られたり、被害を被った人たちのことが大きく報じられるようになります。


そんな報道を聞くたび、なんでそんなものに引っ掛かるんだろう?という疑問が生じました。利回り20%の投資なんて、あるわけないじゃないか。第一それが本当なら、誰にもそんな話流すわけがない、自分たちだけで儲けを独占するはずだ。こう考えれば簡単なことなのですが、世の中にはこういう話を真に受けてしまう人たちが一定数いて、濡れ手で泡を夢見てしまうようです。


こういう人たちと、セミリタイヤというライフスタイルは相容れないものでしょう。かつての華々しい生活、栄光を忘れられず、質素に生活することを身体が拒絶してしまうのです。


また、日々の生活に於いてもそれは伺えます。仕事での昼食に、コンビニのサンドイッチを買って来ている人たち。あれはお金の無駄に他なりません。2個も買うと600円です。それをイイ歳こいたおっさんが、なんの気なしに食べている。家で弁当でも詰めて持って来ればいいじゃないか?


このように、我々セミリタイヤ民からすれば首を傾げざるを得ない選択をするのが彼らの特徴で、それは理屈でどうこう言える問題ではないのです。そしてそのような選択をする輩は一定数以上いて、彼らは殺伐とした表情で会社に行き、そのどす黒いオーラを恥じらいも無く周りに振りまいて、同じような人種を呼び寄せています。


私がこれまで居た職場の面々を思い出すと、地獄の業火から逃れようともがく、罪人の姿が浮かび上がって来ます。


ある日セミリタイヤ(FIRE)という蜘蛛の糸が私の許に下りて来たことは僥倖でした。

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