会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

人間嫌いは『人生の到達点』山に登れ

こんにちは。


昔から仕事を退職したら登山をしようと思っていたのですが、その機会が思ったよりも早く来たので、時間の許す限りは登ろうと思っています。


何故山に登ろうと思っていたのか?自分はやはり人間関係をうまく社会で築くことが出来なかったからです。もちろんそんな消極的な理由ばかりが登山に走る理由ではないでしょうは、自分はそうです。


まず、仕事を辞めるとそれまでは適度な運動になっていた労働業務がなくなり、自分のなかで、なにか運動しようという意志がない限り、筋力が落ちて行きます。


筋力が落ちて行く、ということは、老化に繋がります。老化して行くと、出不精ということにも繋がり、最終的には認知症という、もっとも好ましくないサイクルが出来上がります。


自分は恐らくずっと独り身で過ごすことと思います。まあ認知症になったらなったで何処かの施設にブチ込まれるのでしょうが、出来ることなら最期も自分の意識がはっきりとしたままで終えたいと思っています。だからすべての老化の原因に繋がる『筋力の低下』を阻止しなければならない。それには退職した後も適度な運動を続けること、それにいちばん適したものが『登山』というわけです。


おまけに山に登るというのは、様々な装備や服装に凝ったりしなければ、もの凄く低コストで始めることが出来る。作業服のような服装でも出来るし、運動靴でだって登れます。食糧だって家で準備して来れば普段の昼食代と変わらずに済む。年金暮らしの方々が、山に登られるのはそういった理由からなのでしょう。


会社に勤めているということは、光熱費云々も会社が負担してくれているということだ、なんて言われたことがあります。だから会社というのはよく出来ているんだよ、なんて屁理屈を言われます。ですが自分は疑問に思います。あんな牢獄にいることによって、光熱費を負担してくれているなんて、そんなバカな交換条件があってたまるものか、という感じです。老後の年金が僅かばかり増えるというのも、そんなもの当てになるかもわからないだろうし。


私にとっては、光熱費の負担や年金の増額なんかよりも、もっと大切なものが、『自分の世界を守る』ということなのです。もうこれ以上他者に立ち入られたくない、自分の領分みたいなものをなんとしてでも死守したい。そういう願いが自分をここまで運んで来たと思います。自分の世界を守ること、それはこの社会に絶望した人間の、最後の願いです。


その願いを叶えるのに、これから自分の意志の赴くままに動いて行こうと思うのですが、その最初の土台作りとなるのが『登山』というわけです。

×

非ログインユーザーとして返信する