会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

子供の頃から醒めていた

こんにちは。


子供の頃、よく遊園地で着ぐるみの動物なんかと触れ合いますよね。


大半の子供たちは嬌声を上げてじゃれ合ったり、これ以上ない、といったはしゃぎようです。


でも自分は、「あんなのどうせなかに人が入っているだけだろう、そんな子供騙しにに乗っかったって・・・」という醒めっぷりでした。


また小学校のときに巡回してくる劇団のお芝居なんかも、大半の子供たちは大声を上げて笑っていますが、自分は独り鼻白んでいました。


「・・・どうにも笑えない、脚本(ホン)書いたヒト呼んできて」と、業界用語を駆使してまでの辛辣な批評っぷりでした(一部脚色あり)。


こういった子供は、大人たちにとっては扱い辛いことでしょう。遊園地で着ぐるみに会えば、歓声を上げて抱き着いて行く子供の方が、彼らには健全に見えると思います。またク〇詰まらないお芝居でも、可笑しくてたまらないといった風で笑っていれば、安心すると思います。


端的にいって、子供は無邪気、というイメージを植え付けられています。いないいないばぁをすれば、無条件で笑う、という風に大人たちは刷り込まれている。


この状況、悲劇ではないでしょうか。子供のなかにだって、現状認識が進んでいる子はいて、いないいないばぁをされても、対応に困ってしまう子もいると思います。それとおなじで、子供番組で着ぐるみのカッコをされても、私みたいに、どうリアクションしていいかわからない子もいる筈です。そこで無邪気を演じて、却って気疲れしてしまうという子供も出て来るでしょう。というか、そういう子供たちはたとえ少数派でも、絶対的に存在しているのです。


こういうことを考えると、大人たちの子供に対するステレオタイプな押し付けが、如何に一部の子供たちに悪影響を与えているのかがわかると思います。この世の中はなにかおかしい、こういう風に感じているのは自分だけだろうか?という漠然とした疑問。そういうものを抱えて多感な時期を過ごすため、どうしても他の子供たちに較べて元気はつらつ、といったわけにはいかない。そういう子は、大人たちからもなんとなく差別的な扱いを受けてしまう。


子供は無邪気、というのはお前らの押し付けて来た価値感であって、すべての子供に該当する性質じゃないんだよ、わかったか、この子供時代に大口開けてク〇つまらない出し物に歓声を上げていた感性死滅浮遊生物らが。


と、子供時代にそういう存在だった自分が、いまそういう目に遭いそうになっている子供たちに代わって、言ってやりたいです。

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