会社生活を駆け抜け(た)日々

55歳でひとまず会社生活に区切りを付けたその後の日々

引きこもりと穀潰し

こんにちは。


ご近所の噂話には、誰が出世して偉くなったとか、誰が落ちぶれて貧乏になったとかが多いですね。


そういうものが人の琴線にいちばん触れるということなんでしょう。私の耳にも、誰々の息子さんは一家の財産を食い潰してしまった、とか、あの家の夫婦は揃っていいトコへ勤めている、とか、そんなドス黒い欲望を満たすような話ばかり入って来ます。


私のことも恐らく組内では話題になっていると思います(組という単語が出て来る時点でそういう閉鎖空間に住んでいるということです)。どうやら会社を辞めたみたいで、いつも家にいるようだ、昔からすこし落ち着かないとこがあったから、とか。


まあ自分がこうなったのは社会のシステムに押し潰されそうになり、それに抵抗して云々、なんていちいち説明するのは面倒なので、好きにさせて置きましょう。第一自分には世間に対して後ろめたい感情なんて一切ありません。もし事情を聞きたいということであれば、喜んでさせて貰うつもりです。


自分はいまの段階で言えば、引きこもりという分類に入ると思います。ですがちょっと違うのは、そんなに経済的には困窮していない方の引きこもりです。誰にも迷惑は掛けていない。生活も質素にやっているので破綻するということもないでしょう。これの何処が恥ずべきことなのか、逆に噂好きのご近所さんに問いかけたいくらいです。


まあ自分から火種を撒くようなことはしたくないのでそんなことはしませんが、逆に身上潰した放蕩息子、というのが私の組内に幾人かいます。そしてその放蕩ぶりというのは、色々考えさせられるものがあります。


そういう家はその土地の旧い家が多いです。農家をやっていてデッカイお屋敷のような家を建てたりしています。土地も持っていて、人に貸したりもしているので、もう体制としては盤石といったところです。私も子供の頃、こんな家に生まれれば幸せだろうなと思っていました。


ところがそういう家の長男というのが、なんとなく不穏な気配を持っています。折角恵まれた家系に生まれ、大学も出てそこそこの会社に入ったのに、何故か自分で事業を始めるなどと言って独立し、危なっかしい物件に手を出したりします。そうしてその物件が焦げ付いてしまい、家の財産を抵当にしていたのでどんどん手放してしまい、なんと残ったのは住んでいる持ち家だけ、といった顛末になります。


これは言ってみればバ〇息子が身上潰す、というパターンの典型だと思います。恵まれた家に生まれ、ちゃんとした教育も受けたのに、社会に出て自分で判断をするという段階になったら何故かまともな判断が出来ない。これはどういうことでしょうか。


私のようなもともと持っていない家庭に生まれれば、自分の選択というものに対して決して過信はしないという、まあ長所か短所かはわかりませんが、性格が身に付くと思います。


逆に恵まれた家庭に生まれると、歩んで来た道がほぼ成功への軌跡を辿っているように思えるので、自分の選択に対して慎重になるといったケースが無くなるのではないでしょうか。
何もかもが自分の思うままに実現する、といったイメージしか浮かばなくなるんだと思います。


だからそういう資産があったり、昔からの家柄があったりする家は、よっぽど注意深く息子の教育なり躾なりを、厳格にやって行かないと、文字通り『身上潰す』という事態に陥り易いんだと思います。これは普通の家に生まれ、普通に教育するということよりも、数倍難しいケースだと思います。


私も以前は恵まれた家の同級生を見て、いいな~、と思っていましたが、そこにはやはりその家に生まれた者にしかわからない厳しさがあるということがわかりました。どちらもその宿命のようなものを引き受けて、乗り越えるか或いは打ち負かされるかの選択をせざるを得ない境遇にあるのです。


引きこもりと穀潰し、どちらも悲しい境遇です。

×

非ログインユーザーとして返信する